ヤニク・トップ ”DE FUTURA”考察

・・・人類の最もおろかな愚行、それが広島で起きてしまった。罪のない人が人によって苦しみ、飢え、焼かれ、死んでいく、それを断じて許すことは出来ない。それを表現したのが"De Futura"である・・・


ご存知JANNICK TOP / ヤニク・トップの名曲 ”DE FUTURA / デ・フトゥーラ” 、上記はヤニク・トップ自身の言葉であるが、長い「MAGMA」の歴史の中で唯一クリスチャン・ヴァンデが双頭バンド(ヴァンデ / トップ)のクレジットを冠した、別の捉え方をすれば、ヴァンデ自身がそのアーティストとしての実力を認めた数少ない一人でもある。

所でこの曲、多くの方はマグマの「UDU WUDU」に挿入されたヴァージョンをイメージすると思う。確かに数年前までその他のヴァージョンがなかなか陽の目をみず、2000年代にトップ自身のUTOPIC RECORDSから様々な音源が発売され、取り合えず「UDU WUDU」の”De Futura”を基本に話しを進めたいと思うのだが、この曲を一言で述べるならへヴィでパワフルと称することが出来る。


・・・非常に数学的なコンセプトを持ったテーマで、そこで繰り返される音楽的フレーズは同一のように思えるが、実際には同じ場所に配置されることはない。聴くとおそらく黙示録的な何か、もしくは大災厄を想起させる。なぜなら楽曲の冒頭でこう呼びかけられているからだ。"De Futura-Hiroshima"と・・・


上記はヴァンデの”De Futura”へ対する言葉だが、数学的なコンセプトとは一体どのようなことを意味するのか、愚生は音楽的、楽理的なことは全く分からない。併しこの曲を聴いた方ならお分かりになる筈だが、同一リフを永遠に、または脅迫的に繰り返すポリフォニック的内容ながら、そのメロディーラインは決して一定ではなく、僅かながらも上下の度を往復しているように感じる。そして後半にかけ徐々に加速し生命の終末を迎えるような急激な展開は、ヴァンデ曰く黙示録的なもの、もしくは大災厄といったイメージを我々に植え付けるに十分与えする。

さてその「UDU WUDU」に於ける”De Futura”だが、これから紹介する様々なヴァージョンの中でもリズミカルさや完成度では一番かも知れない。クラウス・ブラスキの地を這うようなボーカルと幻惑的なキーボード、そして何よりもスタジオ録音ながらヴァンデのドラムもテンションが高く、トップの個性的なベース音も手に取るように聴け、全体的に重々しさを感じる。また実際はライヴなどで25分近い演奏時間を有する”De Futura”が、「UDU WUDU」では18分程に短縮され、その分スピード感が増し重量感を植え付けられると想像出来る。


余談だが地鳴りベーシストと称されるトップの個性的な演奏方法は、通常のベースのE音チューニングよりも2度低い、チェロと同様のC音と云われる。これにより聴いた感触がブンブン唸る音を奏でるのだが、使われる弦を探すのにかなり苦心し要約リヨンの職人を見つけたようだ。またベース音を再合成する機器”ORS”の開発に携わり、これにより二つのアンプから各々に異なったベース音が再生される方法が可能になった。


以上の理由により先程は基本と書いたが、後に発売された様々な音源・・この中には作曲者自身が最初に記録に残した75年のデモ・ヴァージョンも存在しており、それは「オルクの太陽」にて聴くことが出来る。


「オルクの太陽」に於いては、リズム・マシーンを使用するも40近いトラックをトップ自身が一つ一つ録音し、ギターのみエルドンのリシャール・ピナスが担当する。産院にて録音された赤ん坊の泣き声にループを施したものや、朗読される独語による”我らが父”が曲の前後に加わり、「UDU WUDU」の同曲と比較し重々しさ急展開は後退するものの、曲感は荘厳なイメージを受ける。


因みに”De Futura”の草案は最初のマグマ脱退後に作曲された”Epithecantropus Erectus”といわれ、「オルクの太陽」の一曲目に挿入されている。そしてこの”De Futura”が公の前に姿を現すのに二ヶ月の時間を必要とするのだが、トップがオーケストラ形体の演奏を熱望しており、当時マグマのマネージャーであったジョルジオ・ゴメルスキとの話し合いの結果、前衛ジャズのイベント、”ナンシー・ジャズ・フェステバル”に出演を決める。


出演が決まりトップは溝が深まっていたヴァンデにデモを聴かせるのだが、ヴァンデは大いに”De Futura”を気に入ったのか、マグマとして「Live!」時期の隆盛を極めていたにも関わらず、同マグマからヴァンデ自らも選抜メンバーに含めた18名編成のユートピック・スポラディック・オーケストラが結成され、75年10月に世界初演を行う。


この模様は「ナンシー’75」に16日のリハーサルと翌日17日のコンサートが収められているが、オーケストラ式のアレンジや楽器の使われ方は凄み、壮大なエネルギーを十分に感じる。個人的にはコンサート本番よりリハーサルの方がそれらに加えテンション及び密度も高く、後半のスピードを増す展開以前からインプロバイズされた様式の中におけるヴァンデとトップ・・いや、メンバー全員の乱打は凄まじく、ヘヴィーさの中に美しさまで感じてしまう内容。


ナンシー・ジャズ・フェステバル終了後、ヴァンデはマグマで”De Futura”を演奏することを決意する。先述したように隆盛を極めていたマグマであったが、メンバー間の確執などにより一時存続さえ危ぶまれていたにも関わらず、トップの曲である”De Futura”によりマグマは短いながらも第二のステージを歩み出す。


この時期のマグマのベーシストはベルナール・バガノッテイで、その模様は「1976~オペラ・ドゥ・ランス」に収録されている。そしてこのツアー後、ヴァンデはトップと”De Futura”のスタジオ録音を行うのだが、このテイクが「UDU WUDU」に収められることになる。

トップはそのままマグマに再加入、とはいえマグマには先任のバガノッテイが在籍しており、「UDU WUDU」の録音に際して今まで以上にメンバー間の壁が悪化、バガノッテイどころかやがてはオリジナル・メンバーであったブラスキまでもが脱退することになるが、この時期の模様は「パリ・ルネッサンス ’76」に収められている。


この作品のクレジットはヴァンデ / トップとなり、形式こそマグマとしての面目を保つが、バンドとしての機能を果たしていなかったといわれる。併しこのルネッサンス・ツアーは伝説として語られるほど高密度な内容であり、噂によればこの時期の音源はまだまだ眠っているとのことだ。


長々と”De Futura”の成長過程を書いたのだが、実は今回の記事をupするに関し「オルクの太陽」「ナンシー’75」「パリ・ルネッサンス ’76」より三種の”De Futura”を聴き、どれが定番たるかなどと考えていた。併しその考えは即座に意味の無いことだと気付いた。例えばクラシックの場合、特にブルックナーなどは本人による原典版やノヴァーク版等々が存在し、常に大きな物議を呼び起こすのだが、思えば時間、季節、演奏者の息吹き、そして感情などを超越したどれもが本物のような気がしてならない。


尚、映像としては05年、仏はLe Triton劇場に於いて一ヶ月に渡り公演されたマグマ生誕35周年コンサート、「MYTHES ET LEGENDES Ⅱ」にてトップが参加する”De Futura”が鑑賞できる。演奏としては当然のことながら70年代のテンションを感じることは出来ないが、時間と経過と共に楽曲も、そして演奏者も熟成した様が伺える。


「UDU WUDU」版 ”De Futura”