一年生になったら交互リンク?

“一年生になったら、一年生になったら、ともだち100人できるかな・・・”


1966年に発表された童謡「一年生になったら」であります。私が一年生の頃には学校でも歌われていたのだが、その歌詞に対し子供ながらに疑問を抱き、更には強迫観念に囚われる内容だった。


というのも・・・


① 一年生になったら友達を100人作らなくちゃならないのか、その労力は大変だし本当に出来るのだろうか。
② 出来たとして一日一人と遊んで100日かかってしまうけど、これって友達と云える関係なのか?
③ それでは友達の定義って何?歌詞のように富士山の頂上でおにぎり食べたり、100人で笑えば友達なのか?


・・・と、幼いながらに本気になって考えたもので、それが先に述べたように強迫的にすり込まれたようだ。

そして今、15年ほど前からHPを初め現在はBlogに移行したが、ネット上で交流を持つ一つの手段として交互リンクがある。最初の頃は自分からも交互リンクを申し入れたが、ある日ふと“ともだち100人できるかな・・・”と同様だと気付く。


つまりリンク先が増えたといっても子供の頃に疑問を抱いた①②③と同じじゃないか、リンク後はリンク先を頻繁に訪問しているのか、ないし訪問出来るのか‥。


それから此方からのリンク申請は行わないことにしたのだが、こんな風にお固く考えている人間がズラッと並ぶリンク欄を見かける度、交流は恙無く行われているのだろうか、単に訪問者を増やす為のリンクなのか‥などなど色々と考えさせられる。


因みにMain Blogには交互リンクを申し込まれたリンク欄があるものの、以上の理由から半年交流がないBlogやHPは削除している。従ってなかなか増えないリンク先だったりするが、意固地というのか拘りというのか、以上が個人的定義の一つなのかも知れない。