大沼郡会津美里町 左下り観音

縁起によると、天長七年(830)弘法大師(一説には徳一大師)が開山したといわれており、五間四面、高さ四丈八尺の懸造りの三層閣であり我が町の貴重な建造物の一つで、廻り縁からの眺望も絶佳である。

本尊は俗に無頸(くびなし)観音と呼ばれ、 秘仏として須弥壇の奥に掘られた岩屋に安置されている。延長(923~930)の頃、越後の人が無実の罪を受けこの観音堂に逃れ救いを求めていたが、遂に追手に捕らえられて打ち首となった。その首を越後に持ち帰り、主人に見せたところ観音の石首であったという。それから無頸観音と呼ばれるようになったと伝えられている。
その後、延文三年(1358)葦名の臣富田将監祐義(とみたしょうげんすけよし)が大修理を加えたといわれ、それ以後も小修理がなされて現在に至っている。

会津美里町大石字東左下り1173、国道118号線より県道23号線へ左折し数キロ。県道沿いの駐車場に数台置けるが、ここから上画像の急坂を車で進むことも可能。登り上がった駐車場からは凡そ200mを徒歩で登る。

仔細は案内板を見て頂くとして、ミニ清水の舞台といった趣で岩崖を巧みに利用した建築方法だ。山奥のこんな建物を見る度に建てた理由を知りたいというか、人力で資材を運び上げる工程はとても大変な労力だったと思う。

会津三十三観音・・・観音菩薩は三十三の姿に身を変えて衆生を救うと云われ、平安時代には西国三十三所巡礼が始まり、室町時代坂東、秩父の三十三霊場が成立した。 会津三十三観音巡りは会津藩祖保科正之により寛永二十年(1643)頃に始められた。
当時、伊勢参宮や熊野神社参拝、西国三十三札所巡礼による多額費用が会津領内から流出した。これを防止するため、領内に三十三の霊場をつくられました。会津美里町には会津三十三観音のうち、二一番札所から三十番札所までの十の札所があります・・・

第二一番札所 左下り観音・・・建立以来千年以上といわれる左下り観音堂は、別名くびなし観音とも言われ、造りが京都の清水寺に似ている。山の中腹にある岩を切り開いて構築した見事な三層閣で、樹齢数百年の老松の小道をしばらく進むと、京都の清水寺にも似た三層のお堂が見えてくる。
観音堂には、くびなし観音が安置されており、会津藩の教育文化に尽力した学僧岡田如黙がここに住み花月を友としたところと伝えられています・・・