「踊る鳥人間」 サムラ・ママス・マンナ

とあるプログレッシヴ・ロックのガイド・ブックに、70年代の真のプログレ・バンドはイタリのアレアとフランスのマグマ、そしてスウェーデンのサムラ・ママス・マンナ(以下サムラ)だと明記されていたが、かなり思い切ったことを書いたものだと思いつつ、その反面なる程と肯く箇所も多々ある。


サムラは69年にアコーディオン&キーボード奏者のラーシュ・ホルメルが中心になり結成、71年に1stアルバムを発表する。バンド名は”ママのマナを集めろ”との意味だが全く意味不明であり、この意味不明なことこそが初期サムラの音楽性を物語っている。
76年に一度解散するが、バンド名の綴りを”Samla Mammas Manna”から”Zamla Mammaz Manna”に変更し77年に再結成、この再活動と共にR.I.Oに参加することになる。併し内部分裂により80年代始めからホルメル自身は”Von Zamla”を結成、その後99年にはオリジナル・メンバーによる新作の発表や、02年の初来日を含めホルメルの単独来日など、日本のアーティストとの交流も盛んに行われていた。

さて「踊る鳥人間」は74年に発表された3rdになり、原題は「Klossa Knapitatet」=資本主義をぶちのめせといったような意味で、当時からR.I.Oに参加する要因は兼ね備えていたと推測出来る。彼等の音楽は”変態的アヴァンギャルド”という言葉で表現されることが多い。私自身も人に説明する際によく使っていたのだが、その表現はもしかして間違っているのではないか‥と、常々思っていた。
確かに70年代当所、この音楽を始めて聴いたときの驚きはとてつもないものがあったと推測するが、例えば変態性のみを問うならば、チェコの”セル・ウン・ベイハルロ”やインドネシアの”ディスクス”の方に軍配が上がるだろう。またアヴァンギャルド性に関しても、個人的にその感覚はない。仮にサムラの音楽をアヴァンギャルド的に捉えてしまうと、アヴァンギャルド自体の価値観が大きく変わることになると考える。


とは言いながら、予測不可能な展開は尋常でない世界が広がり、その予測不可能な展開こそが変態音楽と呼ぶ起因になっていると思われる。併しこの予測不可能な展開は、手の込んだ設計図を元に構築されていることに気付くが、その設計図に追随するジャズ・ロックを基本にした土着的なトラッド感やユーモアのセンスを踏まえた、超絶技巧による高度な演奏内容が最大の魅力になっている。


一曲目は軽音楽を聴いているかのような感触で、手拍子とかけ声と共に間髪を開けず二曲目へと引き継がれるが、既にこの時点に於いて超絶技巧なる演奏が繰り広げられる。曲調はユーモラスな様相を見せるのだが、変拍子に次ぐ変拍子と急展開する内容はスリリングであり、尚且つメロディアスでありながらも緊迫感を伴う。


この二曲目は10分程の時間を要するが、冒頭で述べたように緻密な設計図を元に演奏されていると推測する。と言うのも、7分台から聴けるインプロバイズされた展開に於いては、前半で聴かれたスリリングスさとユーモア、そしてメロディアスな急展開はなく、如何かに腕達者の集まりといえど、インプロバイズ的曲調の中に於いて急展開は難しいと云え、つまり緻密な前半部とフリーな後半部からなる曲になっている。


三曲目は、ピアノとギターによるトラデッショナルな小品。


四曲目は、ギターとピアノがリードする早い曲調のフォルクローレ。中間部分にはヨーデルのお遊びがあり、自転車のベル音が突然鳴り出す仕掛け満載ながら、最終部分に於いて結構シリアスな展開に落ち着く。


五曲目は音楽漫談を聴くようなものだが、数人の語り合いの中に強打されるピアノと、自転車のベルなどが次第に音楽を形成して行く。


六曲目、ジャズ・ロックから切れ込みのあるギターにより急展開、突然フォークソング風のメロに移り変わったと思いきや、いつの間にかブルージーなハードロックとでも表現できる曲調に移行。そしてまたまたフォークソング風のメロディから主題に戻りテンポを急降下、音楽を解体したかのようなラストを迎える正に七変化的内容。


七曲目は奇妙なボーカルと各楽器の断片的演奏で幕を開けるが、この雰囲気はアヴァンギャルドと捉えても良いだろう。
併し徐々にエレクトリック・ピアノによる低域ユニゾンなどによりメロディが形成されて行く。このメロディが個人的に初期のマグマのジャズ・ロックを彷彿させ、後半部分の重々しさはヤニク・トップの「KMX」をも想像させる。


八曲目はタイトル曲になるが、車の往来音をSEにしたアコーディオンによる小品。


ラストの九曲目、今迄の曲調とは異なるモダンな響き。ピアノとギターの断続的な繋がりから、次第にベースやドラムも顔を覗かせるが、この辺り屈折した4ビートを奏でており、諧謔的なジャズの表現とでも捉えられるかも知れない。曲はやがて民族的なフレーズからフェード・アウトする。


以前このアルバムを、ポピュラー音楽を聴く知人に聴かせたことがあった。彼曰く「全く訳が分からない」であったが、彼が言う通り理解不能、且つ冗談音楽のような部分も多々ある。併しそれがサムラであり、この凄さは決して表立った部分に成り立つものではなく、深みのある音楽を聴いてみたい方にのみお奨めする作品の一つだ。
またこれは個人的な意見だが、冒頭で述べたように手の込んだ設計図を元に奏でられるサムラの音楽、裏を返せばそこからユーモアのエッセンスを取り除けば英国カンタベリー・ミュージックの雄、ソフト・マシーンの如くソリッドな世界が見え隠れしてくる。


風に語りて - Talk to the Wind -