汚染土の搬出

地震と津波、そして原発事故といった未曾有の東日本大震災より七年が過ぎました。私の住む地域は地震自体の被害は少なかったものの、原発事故による除染が翌2012年の夏頃から始まり、その際の汚染土を庭先に保管していた。

あれから六年、要約汚染土の搬出が始り庭先の掘り起しが始った。この六年、各戸に置かれた状態は仮々々置場とでも云うのか、これを市町村毎の仮々置場に運び、そこから「中間貯蔵施設」と云われる仮置き場に運び処理を行う。

私の家ではフレコンバック35袋分の汚染土を埋めた。その際35袋を一段で埋めるとかなりの面積が必要となるためニ段としていた。暫く雨の日が続き、掘り起こすと四方から水が染み出し、作業が滞るような泥濘状態となっていた。

フレコンバックは道路向かいの空き地に運び、此処で指定された黒いフレコンバックに入れ替え仮々置場に運ぶ。そして掘り起こした箇所を埋め、表面を生地して終了。

砕石を引き固めた状況。投入された土がまだ馴染まないのか、奥側の一部に柔らかい箇所がある。時間が経過し固まればそれで澄むが、後日確認しまだ柔らかいようなら掘り起こしてコンクリートを混ぜるようだ。


さて現在でもNHKのローカル番組では県内の放射線量を毎日放送、そして線量を計る放射線ポストも各市町村のあちこちにあり、浜通りに行けば尚更のことだが、福島にとっての東日本大震災はまだまだ終わりません。