原田左之助

源義経は平泉を抜け出し、大陸へ渡りジンギス・カンになったという有名な伝説があるが、新選組十番組長、原田左之助にも似たような話がある。


時は明治27年(1894)、日清戦争の頃の話だが、大陸に於いて日本の兵隊に新選組の実に詳しい内部事情を話す老人がいたそうだ。彼は名前を明かすことはなかったが、伊予松山(愛媛県松山市)の出身で戊辰戦争に参加、後に大陸に渡り馬賊の頭領になったという。その後その人物は原田左之助ではないかと噂されるようになったが、研究者の中にはそれを実証出来ると言う人も数多くいる。
そして彼は大陸で没したのかといえばさに非ず、明治40年(1907)頃に日本に帰国、家族の元に現れたという。この話が本当だとすれば、天保11年(1840)生まれと云われる彼は67歳になっていた筈。

原田左之助は新選組内でもかなりの美男子に上げられるが、反面非常に短気な性格でもあったようだ。併し近藤局長や土方副長からの信望は厚く、殆どの事件や騒動に必ず参加しており、それらのイメージから豪快且つ、隊のムード・メーカー的存在であったのかも知れない。反面女性に関しては堅気な性格であり、隊内では唯一所帯を持った人物である。
彼は甲州勝沼の戦いの後、近藤局長との意見の食い違いにより永倉新八と共に新選組を離れ靖兵隊を結成するが、それも離脱し彰義隊に加わり上野で被弾、定説では搬送先で息を引き取ったと云われる。


それにしても実際に昭和まで生きた隊士も数名いる中とてもロマンのある話だが、幕末及び新選組ファンの私としてはほんの120年前の出来事なのに仔細が分からないことが非常に歯痒い。