耶麻郡北塩原 桧原の一本桜


今日からGWの休みとなった。撮影の気力が湧かず特に何処へ行く予定も無かったのだが、先々週、奥方が福島市土湯温泉町の山野草店にコートを忘れそれを引き取りに行く。
そして土湯温泉町から裏磐梯方面へ向かい、10日前はまだまだ咲く様子が無かった耶麻郡北塩原村大字桧原字滝ノ原の桧原の一本桜へ行ってみた。


朝は寒く雨模様であったのだが次第に太陽が顔を出し気温も上がり、麗かな陽気の中で満開でした。昨今、案内板も立てられこの数年で知名度が上がったように思える。

うかうかしていると三脚ごと飛ばされそうなほど風が強い。従って三脚を立てても長居せずに帰るカメラマンが多い中、その風を利用した撮影を行おうと暫し粘っておりました。

此処は人里から離れた山中、周囲には畑があるだけで電柱なども無く、夜は熊や狐など野生動物が俳諧している場所でもある‥というか、今や人里にも出現するけど w

土湯温泉町から裏磐梯へ来る際、磐梯吾妻レークラインを通行したのだが、秋元湖周囲の緑もいよいよ芽吹いてきたようです。GW中に朝霧の撮影にでも来てみるかなぁ‥と、ちょっとは撮影の意欲が出てきたかも。


さて長きに渡り桜が楽しめる福島であるが、個人的には四月の初めから約一ヶ月近く、いよいよこれが最後になるかな。

一年生になったら交互リンク?

“一年生になったら、一年生になったら、ともだち100人できるかな・・・”


1966年に発表された童謡「一年生になったら」であります。私が一年生の頃には学校でも歌われていたのだが、その歌詞に対し子供ながらに疑問を抱き、更には強迫観念に囚われる内容だった。


というのも・・・


① 一年生になったら友達を100人作らなくちゃならないのか、その労力は大変だし本当に出来るのだろうか。
② 出来たとして一日一人と遊んで100日かかってしまうけど、これって友達と云える関係なのか?
③ それでは友達の定義って何?歌詞のように富士山の頂上でおにぎり食べたり、100人で笑えば友達なのか?


・・・と、幼いながらに本気になって考えたもので、それが先に述べたように強迫的にすり込まれたようだ。

そして今、15年ほど前からHPを初め現在はBlogに移行したが、ネット上で交流を持つ一つの手段として交互リンクがある。最初の頃は自分からも交互リンクを申し入れたが、ある日ふと“ともだち100人できるかな・・・”と同様だと気付く。


つまりリンク先が増えたといっても子供の頃に疑問を抱いた①②③と同じじゃないか、リンク後はリンク先を頻繁に訪問しているのか、ないし訪問出来るのか‥。


それから此方からのリンク申請は行わないことにしたのだが、こんな風にお固く考えている人間がズラッと並ぶリンク欄を見かける度、交流は恙無く行われているのだろうか、単に訪問者を増やす為のリンクなのか‥などなど色々と考えさせられる。


因みにMain Blogには交互リンクを申し込まれたリンク欄があるものの、以上の理由から半年交流がないBlogやHPは削除している。従ってなかなか増えないリンク先だったりするが、意固地というのか拘りというのか、以上が個人的定義の一つなのかも知れない。

耶麻郡北塩原村 桜峠+etc

昨日の日曜、南会津郡下郷町大字戸赤字林下の戸赤の山桜へ行く。

今年は何処でも開花が早く、桜祭りの開催を前倒ししたりと大変なようだ。戸赤は例年五月三日の憲法記念日だが、果たしてどうするのだろうか。

戸赤を後にし耶麻郡北塩原村大字大塩字桜峠へ向かう。訪れる人々が皆感嘆の声を上げ、こう書いてしまうと元も子もないが、光りの具合次第で誰がカメラを向けても良いものが撮れそうな程に素晴らしい眺めです。


「Spring Fever ①」~ F10・SS1/80・ISO200・C-PL ~


「Spring Fever ②」~ F10・SS1/60・ISO200・C-PL ~


桜の時期に来るのは初めてなのでまずは立ち位置を探すが、最初ということもあり結局はネットなどで見るオーソドックスな構図となった。桜は見上げるより見下ろす方が美しいと云われるが正にその通りであり、薄曇りの天候が幸いしフラットに近い光の下で撮影できた。次回は是非早朝に訪れてみたいと思う。
豊かな色彩なので特に色調補正は行わず、歪み、レベルカーブなどの基本補正に加え、周囲にややソフト補正を施した。


夕方、昨年もほぼ同じ頃に撮影を行った郡山市湖南町舟津字鬼沼へ行く。冬季は通行止めとなる県道376号線から見下ろす猪苗代湖が目的なのだが、一日中はっきりしなかった空模様がこの時間になって太陽が僅かながら顔を出した。


春...黄昏」~ F9・SS2・ISO200・C-PL+HALF ND4 ~


毎年同じ位置に立つと枝々が伸びていることに気付く。つまりはファインダー内にその枝が入ってしまう訳だが、昨年と同じ構図を撮っても仕方ないかと左に寄り、焼けない空をカバーする目論見もあって枝々をフレーミングする。
撮影時間は18:41、要約イメージする明暗になった。レタッチは傾き調整の後に空の赤味を+補正、更に全体の明暗を調整する。


@タイトル付きの画像はMain Blogをご覧下さい。





杜子春

昔々、小学生の頃だったか、国語の教科書に 「杜子春」なる物語があった。中国、唐時代の伝奇小説を芥川竜之介が翻訳したものだと記憶しているが、その内容は更にあやふやな記憶ながら唐の都に仙人になる夢を持つ杜子春という若者がいた。ある日仙人に出会った彼は、自分も仙人になりたという願いに対し仙人はこう答えた。


「それではこれから先、何があっても口を利いてはならない」

暫くすると彼方から二頭の馬がやってきた。併しよく見れば姿は馬ながら顔は人間であり、その顔は既に亡くなった彼の両親であった。周りにいた鬼達は鞭で馬を打ち、馬は痛みに耐えながら杜子春に助けを乞うた。杜子春は駆け寄り声を出しそうになったが、仙人との約束を思い出し暫し静観するも、鬼達の容赦ない攻めを目の当たりにし遂には「お父さん、お母さん」 と声を発した。気が付くと何事もなかったように、そして夢から醒めたように彼は夕暮れの都路に佇んでいた。そこへ先程の仙人が現れこう言った。


「お前は仙人になることは無理のようだ。だがあの時お前が本当に声も出さず両親を助けることもなかったら、私はお前を殺していただろう・・・」



以上が物語の曖昧なる記憶の内容だが杜子春と両親の間柄は如何なるものだったのか、即ち愛情溢れた環境であったのかそれとも憎しみに満ちた環境であったのか、この物語を思い起こす度に心に過ぎるものがある。


それは恨みや憎しみという人の陰険なる心についてだが、仮に杜子春と同じ状態にあって肉親が‥いや、肉親に限ったことではないが、恨みや憎しみの対象でない人が鞭打たれる様を目の当たりにした際、助け船を出す行為は当然のことだ。併し鞭打たれる人がもし恨みや憎しみの対象であった場合はどうなるのか。


個人的に今まで人を殺したいと思うほどの憎しみを持つことはなく、甘い考えだと云われればそれ迄だが。おそらく私は助ける方向へ傾くだろう。だが強固なる憎しみの塊と化した心が更なる悪へと加担した時、その人は既に人に非ず、いつも心は苛立ち顔は険しく邪悪なる鞭打つ鬼達と同化している。


憎しみ恨みの度合いこそ色々あれど、自らを修羅の道へと追い込み鬼の如し様相と言動で生きるより、逸早く心を解き放ち、陽光降り注ぐ新たな道を歩むことこそが幸せな在り方だと思う。

サイケデリック

Psychedelic ・・・通説では「psycology」+「delicious」=「脳に美味しい」という造語であり、LSDや幻覚剤を用いた幻視・幻聴などの感覚表現である。アーティストはその幻視や幻聴を活用、非現実的な世界を具象化する訳であるが、一般的に音楽で有名なものはBeatlesの”Lucy in the Sky with Diamonds”などであろう。

併しながら今になって聴けばその内容はあまりにも洗練されており、個人的にサイケデリック・ミュージックと聞いて浮かぶのはドイツのAmon Duul、上画像1969年のアルバム「Psychedelic Underground」だ。
内容は各自が奏でる‥いや、打ち掻き鳴らす楽器と奇声が永遠と続き、後にダビングを施し完成させたものであり、インプロビゼーションなどの洒落たものとは程遠い、土着的且つ宗教的でありながらその反面まともな音楽ではない。


そういった点から考察し、J-POPのミュージシャンがサイケデリックを自らの音楽性の一環として取り上げることがあるが、当然のことながら我が国では薬物禁止なのでサイケデリック風の音楽を奏でる、または模しているというのが正解である。


とはいえ極彩色のぐるぐる渦巻くイメージなどなど、ファッションやアートの類にも活かされ多くの方向性を作り出したのも確かなことである。
ファッションで云えば旧い人間なので1967年頃のレナウン・イエイエ娘のCMなどを思い出してしまうのだが、これなどもやや前衛的な感触があるなぁ‥などと書いてると取り止めがなくなるので止めよう。