中通りの中心部より会津へ向かう際、多くの方は国道49号線を使うと思うが、猪苗代湖北西部の十六橋水門から強清水間にある旧国道の存在をご存じだろうか。今回は撮影を早めに切り上げたので、帰路の途中にその旧国道を通過してみました。 会津と二本松を結ぶ旧街道は北新道と南新道の二つがあり、旧国道49号線は北新... 続きをみる
歴史のブログ記事
歴史(ムラゴンブログ全体)-
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大沼郡金山町の山入地区、県道布沢横田線沿いの集落裏山に江戸時代中期に掘られた鮭立の磨崖仏(さけだちのまがいぶつ)がある。磨崖仏とは「此方」を参照。 洞窟は保全のため覆屋となっている。詳しくは案内板をご覧頂くとして、多くの修験者が数十年かけて五穀豊穣、病苦退散を祈って彫られたものだ。 前面幅約5m、... 続きをみる
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岩瀬郡天栄村の二岐山に端を発っし、湯本字下二俣の二岐温泉へ流れる二岐川沿いには二岐大滝や御鍋神社・御鍋小滝がある。その御鍋神社は鍋を御神体とした全国でも珍しい神社であり、以下は「Hatoriko.JP」より引用。 ・・・時は平安時代中期、平将門が戦いに敗れ、密かに逃れて来たその妻桔梗姫と一族がこの... 続きをみる
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苅松田城は福島市飯野町(旧伊達郡飯野町)の南部、住所は字館にあった。 -以下は福島民報社 ふくしま紀行 城と館より引用- ・・・政宗飛躍の踏み切り台 苅松田城は戦国時代に飯野町南部に築かれた城。さほどの規模ではなく、構造も複雑ではないが、独眼流・伊達政宗が南奥州の覇者への”踏み切り台”になったとも... 続きをみる
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仕事で国見町へ行く。仕事の都合で二時間ほど待ち時間が生じる予定につき、この時期の国見町となれば西大枝の泰衡ヶ蓮ということで撮影の準備をして出かける。下記は三年前のブログの記事。 ・・・宮城との県境、福島県伊達郡国見町には古来より東山道や仙道口と称され坂東(現関東地方)、そして京へと続く街道があった... 続きをみる
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昭和十三年(1938)、一月十六日、新選組最後の隊士、稗田利八こと池田七三郎が没した。九十歳の長寿を全うした彼は、慶応三年(1867)の秋に江戸で行われた隊士募集にて入隊。入隊時十七歳の彼は、まだ年少のため近藤勇の小姓のような仕事をしていたという。 入隊の翌年、慶応四年一月三日、鳥羽伏見の戦いが始... 続きをみる
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縁起によると、天長七年(830)弘法大師(一説には徳一大師)が開山したといわれており、五間四面、高さ四丈八尺の懸造りの三層閣であり我が町の貴重な建造物の一つで、廻り縁からの眺望も絶佳である。 本尊は俗に無頸(くびなし)観音と呼ばれ、 秘仏として須弥壇の奥に掘られた岩屋に安置されている。延長(923... 続きをみる