歴史のブログ記事

歴史(ムラゴンブログ全体)
  • 旧国道49号線、戸の口原古戦場

    中通りの中心部より会津へ向かう際、多くの方は国道49号線を使うと思うが、猪苗代湖北西部の十六橋水門から強清水間にある旧国道の存在をご存じだろうか。今回は撮影を早めに切り上げたので、帰路の途中にその旧国道を通過してみました。 会津と二本松を結ぶ旧街道は北新道と南新道の二つがあり、旧国道49号線は北新... 続きをみる

  • 会津藩降伏の日

    明治元年(1868年)11月06日(旧暦09月22日)、薩長のクーデターにより朝敵とされ、徳川幕府への遺恨を全て被った会津藩が一ヶ月の篭城の末に無念の降伏となった日である。会津藩は幕末に於いて強靭を誇る雄藩であったが、敗戦の要因として幾つか思うに、古い体制への拘りと長い京都守護職という役目に国費を... 続きをみる

  • 大沼郡金山町 鮭立の磨崖仏

    大沼郡金山町の山入地区、県道布沢横田線沿いの集落裏山に江戸時代中期に掘られた鮭立の磨崖仏(さけだちのまがいぶつ)がある。磨崖仏とは「此方」を参照。 洞窟は保全のため覆屋となっている。詳しくは案内板をご覧頂くとして、多くの修験者が数十年かけて五穀豊穣、病苦退散を祈って彫られたものだ。 前面幅約5m、... 続きをみる

  • 岩瀬郡天栄村 御鍋神社

    岩瀬郡天栄村の二岐山に端を発っし、湯本字下二俣の二岐温泉へ流れる二岐川沿いには二岐大滝や御鍋神社・御鍋小滝がある。その御鍋神社は鍋を御神体とした全国でも珍しい神社であり、以下は「Hatoriko.JP」より引用。 ・・・時は平安時代中期、平将門が戦いに敗れ、密かに逃れて来たその妻桔梗姫と一族がこの... 続きをみる

  • 福島市飯野町 苅松田城

    苅松田城は福島市飯野町(旧伊達郡飯野町)の南部、住所は字館にあった。 -以下は福島民報社 ふくしま紀行 城と館より引用- ・・・政宗飛躍の踏み切り台 苅松田城は戦国時代に飯野町南部に築かれた城。さほどの規模ではなく、構造も複雑ではないが、独眼流・伊達政宗が南奥州の覇者への”踏み切り台”になったとも... 続きをみる

  • バルトの楽園

    06年の映画「バルトの楽園」を久々に観た。内容は第一次大戦、徳島の坂東俘虜収容所々長として人道的に捕虜に接した会津出身の松江豊寿大佐を描いている。 松江豊寿は幼少時分に目の前で起きた出来事、戊辰戦争に於ける会津藩敗戦の際、敗者に対する薩長の非人道的行為、加えて生き残った士族を不毛の地、斗南への強制... 続きをみる

  • 斎藤 一の謎

    墓碑が福島にある為か、私は新選組隊士の中で斎藤 一に何処か惹かれるものがある。彼は1844年、旗本鈴木家家臣、山口祐助の次男として生まれ、江戸では近藤勇の試衛館に出入りしていたと云われている。 その江戸で刃傷事件を起こし姿を隠すが、京都で近藤勇の新選組に加わる。65年、現テレビ朝日の「新選組血風録... 続きをみる

  • 若き正宗の軌跡

    87年の大河ドラマ「独眼竜政宗」、歴代大河ドラマの中で視聴率TOPの作品でもあり、何度観ても楽しめる内容を持っている。愚生は今の地に越して12年になるが、以前は大内定綱が領主を務めていた小浜(現二本松市)に住んでいた。 小浜では天正十三年(1585年)、二本松城主の畠山義継と手を組んだ定綱が伊達家... 続きをみる

  • 伊達郡国見町 阿津賀志山防塁跡

    仕事で国見町へ行く。仕事の都合で二時間ほど待ち時間が生じる予定につき、この時期の国見町となれば西大枝の泰衡ヶ蓮ということで撮影の準備をして出かける。下記は三年前のブログの記事。 ・・・宮城との県境、福島県伊達郡国見町には古来より東山道や仙道口と称され坂東(現関東地方)、そして京へと続く街道があった... 続きをみる

  • ラストサムライ 池田七三郎

    昭和十三年(1938)、一月十六日、新選組最後の隊士、稗田利八こと池田七三郎が没した。九十歳の長寿を全うした彼は、慶応三年(1867)の秋に江戸で行われた隊士募集にて入隊。入隊時十七歳の彼は、まだ年少のため近藤勇の小姓のような仕事をしていたという。 入隊の翌年、慶応四年一月三日、鳥羽伏見の戦いが始... 続きをみる

  • 原田左之助

    源義経は平泉を抜け出し、大陸へ渡りジンギス・カンになったという有名な伝説があるが、新選組十番組長、原田左之助にも似たような話がある。 時は明治27年(1894)、日清戦争の頃の話だが、大陸に於いて日本の兵隊に新選組の実に詳しい内部事情を話す老人がいたそうだ。彼は名前を明かすことはなかったが、伊予松... 続きをみる

  • 大沼郡会津美里町 左下り観音

    縁起によると、天長七年(830)弘法大師(一説には徳一大師)が開山したといわれており、五間四面、高さ四丈八尺の懸造りの三層閣であり我が町の貴重な建造物の一つで、廻り縁からの眺望も絶佳である。 本尊は俗に無頸(くびなし)観音と呼ばれ、 秘仏として須弥壇の奥に掘られた岩屋に安置されている。延長(923... 続きをみる