川霧の季節を想ふ

その後皆様におかれましてはお変わりないでしょうか。カメラに触れることなく一ヶ月が過ぎ梅雨の季節となりました。梅雨となれば奥会津の川霧の景観が頭に浮かぶけれど、今年の撮影は見送りになると思います。さて今秋の只見線全線開通の話題が各メディアから耳に届く昨今、時折りデータや撮影記録を眺めているのだが、七年前に撮った画像をupします。


霧幻鉄道」~ F8・SS1/80・ISO500 ~


撮影日は2015/08/02、車両は06:03頃通過の上り422D。天候は小雨模様であった記憶がある。私が只見線を撮り始めたのは2014年の秋からで、まだまだ駆け出しの領域に居ます。それ以前から奥会津の風景を撮ってはいたが、只見川と各橋梁となれば必然的に走行する列車を収めたくなり、当初は御多分に洩れず今回upした大沼郡三島町大字川井字天屋原、道の駅尾瀬街道みしま宿のビューポイントから眺める第一只見川橋梁をメインに撮っていました。


第一橋梁の川霧の光景を始めて見た際の感動は今も忘れられず、鉄道に全く興味はなかったがその一瞬で只見線の撮影に嵌まり今に至る次第で、つまり撮り鉄ではなく撮り只見線ということになるだろうか。「川霧が奔放なのは、雲霧の中で彷徨う神々の仕業なのだという。変幻自在の神々のおこぼれを、人間はそっと頂戴している」と、郷土写真家の星賢考氏がその写真集の中に記すように、確かにあの頃は奔放なる川霧の状態に右往左往していたことを思い出す。


2019/06/22 撮影
只見線を撮っていて気付くのは、古い家屋が並ぶ奥会津の原風景には構成的に完成された美しさがあるということだ。例えば有名ポイントである大沼郡金山町大字大志字掛橋の大志集落など、”神々のおこぼれを人間はそっと頂戴している”の言葉通り、川霧が立つ景色は人間の営みと神々が織り成す正に神秘的であり幽玄的な景観と云える。

2019/06/09 撮影
この大志集落を見下ろせば只見川やその只見川に突き出た半島風の形状など、山霧の流れる様は時としてハッとする美しさがあります。川霧の場合は状況によってホワイトアウトになってしまうが、ホワイトアウトと云えばシャッターを切らずに撤収しことが何度あるだろうか。撮ったとしても霧の形状が芳しくなくボツになった画像も多々ある。そんなこともあり腰痛持ちの私は登るのが大変な先の第一只見川橋梁ビューポイントを最後に撮ったのはもう五年前だ。

2017/07/01 撮影
変わって撮り始めたのが上画像、大沼郡金山町大字水沼字沢東の第四只見川橋梁俯瞰ポイントです。早朝の畑や薄暗い杉林を歩くなどクマに遭遇するかも知れない環境ではあるが、アクセスは楽です。因みに四年前だったか、50mほど先にクマを見ました。


このポイントもホワイトアウトとなり何度撮影を諦めたことか。それでも次回こそはと通ったものだが、次第に国道252号線の水沼橋周辺から見上げ、その状態を推測し適不適を判断するというか、ダメ元で行ってみる的なチャレンジ精神が希薄になってしまった。


以上、卓上から川霧のことを想いうだうだと書いてしまったが、返す返す川面を這い山裾を駆け上る川霧は生き物の如くそして奔放です。多くの方々が経験しているように、列車通過前まで絶景と云える眺めながら、いざ列車通過となると霧が流れてしまう、ないしホワイトアウトになってしまうなど先述したように川霧の状態に右往左往するも、その一瞬を捉えるために、そして神々のおこぼれをそっと頂戴するために人間が出来ることとは、矢張り飽くることなく何度も通うことが神々に答える唯一の方法かも知れない。


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