”muragon” 開設して一年

muragonを始めて一年が経とうとしている。Main Blogは撮った写真+撮影記といったスタイルとなり、そのMain Blogのサイドバーに書いていた撮影地情報や、今日の一言二言などの短文を独立してUpする為に開設したBlogがmuragonとなる。
当初は映画や音楽、そして歴史なども少しは書けるかと思っていたが、今となっては撮影日誌とラーメン記が主となってしまった。


今年の春頃まではコメント欄を設置していたが、諸事情及びMain Blogのコメントのみで私の脳内容量が一杯となり設置しないことにした。またmuragonには”☆nice!”という機能があるが表示させていない(スマホを除く)など、特に繋がりを目的とはしていないBlogだったりする。


さて先に撮影地情報や今日の一言二言などの短文を‥と書いたが、記事にする程でもない呟きをまた始めた。サイドバーの”Today's mutter”がそうなのだが、果たして何時まで続くかは未定。本来ならTwitterを使うのだろうが、これも先に書いたように繋がりが面倒、且つ不要なのでやらない。

話しは唐突に激変するけど、作品と称する写真とはどんなものなのか‥という質問を受けた。私のようなトーシローが答える立場にないが、おそらくカメラを持って周りを見渡せば誰もがパッと目を惹かれる光景があり、他の人にその光景の何処をどう見せたいのか、どう伝えたいのかといった方向性だと思う。


よく画作りと云われるが、自分也の表現、露出や色使いなどの脚色を施しイメージに適した時間帯や光りの状態を待つ。加えて冠されたタイトルと共に見る側に主張する。反面この”Side B”の撮影日誌に使用する画像の場合、多くはカメラ任せの露出による見たままの状況説明写真であり、その表現手段が大きな分かれ目なのかも知れない。


以上は個人的見解なので様々な考え方があるとは思うが、自他共に作品と称される写真を撮りたいと常に切磋琢磨するも、なかなか思うように事が運ばないのが現実だ。


話しの序に、Main BlogにUpした写真に対し様々なコメントを頂き有り難いです。当初は露出や設定などのコメントを希望していたのだが、最近はそれらより一枚の写真から皆さんが連想する背景や歴史、そして想いなどのコメントが嬉しくて楽しいです。


話しを戻しmuragonは登場してまだ日が浅いからか、使い勝手は発展途上だと感じることが多々ある。例えば画像が大きく表示されない、Blog自体の横幅などサイズ及びデザインの変更が出来ない、使用可能タグが限定されている、過去の記事の修正が面倒などなど数々あるが、記事を書くといったBlog本来の在り方は至ってシンプルであり、書くことに適したBlogと云えるだろう。