母が旅立ちました

去る7月21日、午後9時23分、長らく自宅療養中であった母が旅立ちました。13日夕方から急激な高熱となり、翌朝救急車で入院となりました。中心静脈栄養のポート部が赤く細菌感染が疑われ抗生物質を投与、一旦熱は下がったものの検査の結果MRSA感染と判明、抗菌薬のバンコマイシン投与で再び熱は下がりました。


熱は下がったのだが肺に水が溜まる、体中塩分が生成されないなど亡くなる三日ほど前から呼吸が荒くなり昏睡状態になりました。現在は病室での一日10分の面会が可能となり、毎日通い声を掛けても反応がありません。併しこの時点では何れ回復し退院するという気持ちでいたため、当日は撮影に出ていたのだが主治医の話しがあるとの連絡に病院に行きました。


その内容は転移していたガンが体中のあちこちで大きくなっており、おそらく高熱が影響してか生きようとする力が一気に衰え、年齢も年齢なのでこの状態ではいつ心肺及び呼吸停止になってもおかしくないとのことでした。当然この時も10分の面会を終え一旦帰宅したが、コロナがなければずっと脇に寄り添うことができるのにと残念な気持ちで一杯だった。


自宅で夕食を終え暫くすると病院から危篤との連絡がありました。家から病院まで二つある信号が青なら一分も掛からないのに、到着した時には急変により呼吸が止まっていました。


享年89歳、四年前の直腸ガン手術後からベット上での生活が始まり、それでも週一回のディサービスや訪問リハビリを行い早く歩けるようになりたいと願っていました。車イスは一人で乗り降りし、歩行器で数メートル歩くなど回復の兆しが見えていたのだが、昨年初頭に腸閉塞となりそれから入退院を繰り返す度に筋力がどんどん落ち、最近では殆どの時間をベット上で過ごしていました。


呼吸は苦しかったかも知れないが、看護婦さん曰く末期がんのように苦しむこともなく眠るように亡くなったと聞き、それだけでも安堵したような気持になるけど、今になって思うのはあれもこれも食べさせたかったという気持ちや、認知症が進み厳冬の夜に掛け布団など退けてしまい、腕をベットに縛ったことなどに対し後悔が募ります。

画像はまだディサービスに通っていた元気な頃です。緑内障もあって次第に視力が弱くなり、文字盤の小さい婦人用の腕時計は見え辛く、文字の大きい100均の時計を買い与えると喜んでいたが、認知症故に腕時計を装着していても何処かに落としたと言うことが多くなりました。


四年間介護を続けていたからか、亡くなったショックは大きいです。この時間はオムツ交換だとか、三時だからおやつを食べさせるかなどなど大きな穴が開いたようです。亡くなった翌日には梅雨が明け暑い日が続いています。その暑さもあってか何かをしようとする気力が湧かず、蜩が賑やかなるそんな酷暑の夕暮れです。