...tot licht ! / Discus

インドネシアのディスクス、そのバンド名の由来は、飼育が難しいと云われるアマゾン産熱帯魚の名前のようだ。私が東京での学生時代の寮に、留学のためインドネシアから来た男性が住んでいた。とはいえ彼は私よりも10歳ほど年上、且つ日本人の奥さんがいた。


彼の吸うインドネシア産の煙草、これがなかなか個性的というか銘柄は忘れてしまったが、花火のようにパチパチと音を立て、とても甘い香りがする代物だった。そして彼はプログレが好きで話しが盛り上がったものだが、当時のインドネシアの音楽ソフトはカセット・テープが主流とのことだった。


ある日イエスの「トーマト」を聴かせて貰ったのだが、何と曲順がバラバラで驚いたところ、これが普通に売られている品物であり、僕はこのとき失礼ながらインドネシアの音楽文化の未発達性を感じてしまったのだが、インドネシアは70年代からプログレのバンドが登場しているお国柄だ。


その代表として礎的存在のゴットプレス、そしてアバマやララ・ラガーディ等々がおり、この寮生活の時分に聴かせて頂いた‥が、今となっては記憶がないのが残念。彼の話では70年代末期からのパンク・ムーヴメントはそれほど流行しなかったものの、80年代に入り各国同様、MTVなどの産業ロックの増大化の元、インドネシアのプログレは隅へ隅へ追いやられた。


さてディスクスの話に戻るが、リーダーのイワン・ハサン(g)とファディール・インドラ(key)は中学からの顔見知りであり、当時からバンド活動をしている。その後イワンは米へ留学、帰国後の95年に彼の呼び掛けでファディールが参加、またvoとして紅一点、インドネシアのジャズ畑からノニも加わり、総勢8名のメンバーで結成される。


今回取り上げた作品は03年発売の2ndになり、その音楽性が変態と呼べるほど様々な要素‥ケチャ(インドネシアの民族音楽)、メタル、ジャズ、レコメンそしてクラシック~現代音楽を吸収し、息もつかぬ展開に次ぐ展開を聴かせる。


正直なところこのアルバムを聴き始めた当初、その凄まじい展開とメタル色の強い楽曲に対し、今まで様々な音楽を聴いてきたが、音楽の受け手として拒否反応が出た程だ。だが向き合う時間が重なるに連れ、楽曲の中の面白みを感じてくるようになった。加えて楽曲から受ける印象とは裏腹にアルバムが持つテーマ、民族とヒューマン性といった内容に惹かれた。


ではその変態性とは如何なるものかだが、まずオープニングの一曲目、行き成りケチャのリズムとvoで幕を開け即座に展開、曲はヴァイオリンやオーボエなどが登場する極めてレコメン風の色合いを強くするが、バックのgはその後の展開を予感させるようにメタル的フレーズを奏でる。女性voが登場後、民族色のある展開からメタル風味に一気に雪崩れ込み、途中にはエンタメ色の強いジャズvoが現れる。併し曲の展開はこれで収まることはなく、レコメン~メタル~民族音楽~エンンタメ・ジャズvo等々目まぐるしく変化して行く。


この曲は9分半ほどの時間を要し、本来ならもっと詳しくその展開をご紹介したい所だが、書くのが億劫になるほどの内容であり、実に変態音楽そのものの趣を持つ。


二曲目は男女の呻き声から一気に、デス声まで現れるメタルへ突入。途中フルートを従えた女性voが現るも、主題であるデス声を用いたメロが吹き荒れる。展開部ではシンセと民族打楽器を用い、幻想的な女性voをサポートする。打楽器はそのままリズムを強調し、やがてサックスの登場と共にフリージャズへと展開するが、ここでの曲感はヘンリー・カウの影響を強く感じる。曲はまたもや登場するデス声と共に一気に上り詰め、この二曲目に於いても変態性は全開状態で、一言でその様を表現するならば、高速レコメンデット・メタルとでも呼べる。


三曲目は今までと打って変わる内容だが、ここでもまた違った意味での変態性を強く感じる。曲はアコギのアンサンブルを中心とした、伊ロック‥それもイ・プーの地中海の風景が目の前に広がる曲調を持つが、男女のインドネシア語で歌われる印象は、その地中海と東シナ海がごちゃごちゃに混ざり合ったような不可思議な感覚に陥る。


四曲目は、12分の演奏時間を要するアルバムのタイトル曲になる。そのタイトルで使われるヴェルソ・カルティニとは、まだオランダの植民地であった19世紀末に実在した女性である。彼女は貴族階級の家に生まれ、ジャワで始めて女学校を設立するなど、最初の女性運動家といわれるが、第二婦人の子として生まれた経緯や、やがて意に反し第四婦人として嫁ぐなど、理想と現実の狭間で葛藤した。


曲は不協和音を奏でるイントロに続き、メタル的曲感が少々現れるもののフルートがリードを取る穏やかな部分、そしてメロディアスに高らかと歌われる部分などが交差する展開であり、欧州プログレの雰囲気が色濃く、英語とインドネシア語が交互に使われる箇所などとても印象深い。後半部に差し掛かると何処かカンタベリー・チックな展開も聴かれるが、圧巻なのは突如現れるガムラン音楽。


五曲目はクラシック~現代音楽の要素を持つもので、構成は弦楽器とガムランの打楽器、そしてオーボエなどが使われる。印象としてはZNRやアクサク・マブールなどのチェンバー・ロックを彷彿させる内容を持ち、正に現代音楽のカテゴリーで語られてもよい佳曲。


六曲目はアルバム中、一番最初に完成したといわれる約20分に渡る曲で、タイトルになっているアンネとはあのアンネ・フランクのことであり、ジャケットに描かれている宙を舞う女性二人はこのアンネと、四曲目に登場するヴェルソ・カルティニニのようだ。曲は一、二曲目同様展開に次ぐ展開を聴かせるが、欧州音楽の要素が強く、民族風アレンジはそれらの繋ぎ的役割を持つ。中でも再三述べているように、レコメンやジャズなどの曲展開が平然と行われることに対し、ディスクスの演奏技能の高さに驚愕する。


七曲目は日本盤のみのボーナスだが、民族色の強い穏やかなメロ、ピンク・フロイドの「エコーズ」を思わせる呻き声のSE、そしてフリージャズへの展開と色彩豊か。この曲を聴いただけでもディスクスの変態性を垣間見ることが出来る。


以上が簡単ながら全曲の紹介になる。文中に幾度となく登場する白人の為の白人の音楽といわれるメタルをディスクスのような東洋人が演奏すると、これは個人的な感覚だがとても異質に感じる。それがある意味変態性を伴う一端になっているのだが、実際のところ僕はメタルは聴かない。というより好きではない。


従ってこのアルバムを聴き終えて思うことは、確かに面白い内容ながらメタルの曲感が後退すれば特選に与えするのだが、ラッシュやドリーム・シアターをプログレだと勘違いしている人も多い中、同じメタルまたはH.Rの曲調を持ちながらプログレとして受け止められるか否かの線引きは一体何か‥。実はこのディスクスを聴くと、その答えが用意されているといっても過言ではない。


最後にインドネシアは楽園バリや南国の海などなど人各々にイメージを持つと思うが、私にとってのインドネシアは未だにあの甘い香りの紫の煙である。