双葉郡浪江町の今

02日、松川浦や新地町の撮影後、一年ぶりにに浪江町の請戸漁港周辺を周ってみた。浪江町の現況は役場からの下記文章を引用する。

〇平成23年3月11日の東京電力福島第一原子力発電事故により、町内全域に出されていた避難指示は、平成29年3月31日、「帰還困難区域」を除く区域で解除されました。


〇浪江町内は、平成25年4月に空間放射線量が低い順に、A避難指示解除準備区域、B居住制限区域、C帰還困難区域が指定され、A・B区域では日中の立入りが可能となりました。それ以降、A・B区域については、除染・インフラ復旧・生活基盤の再生を集中的に進めた結果、平成29年3月31日に避難指示が解除されたものです。C区域については避難指示が継続しているため、引き続き居住できません。


○福島第一原子力発電所から浪江町までの距離は、最も近いところで約4km、浪江町役場までは約8km、津島支所までは約30kmです。


○A区域にある浪江町役場の付近の空間放射線量は、およそ0.1マイクロシーベルト毎時です。


○被災前、A区域の人口は全体の約4割を占めていました。このA区域を当面の町の「復興の核となるエリア」として、まちづくり整備を進めています。


○浪江町役場の機能の大部分は、平成29年4月1日より元の役場本庁舎に戻っています。


○避難指示が継続するC区域についても、「復興拠点」を設定して国による除染、インフラ復旧を進め、将来的に帰還できる環境づくりを目指します。


避難指示が解除され、請戸漁港とその周辺は急ピッチで復旧工事が行われている。今回特に気付いたのは防潮堤工事でかさ上げされた海岸線。また以前と比較し津波で壊れた家屋はだいぶ少なくなったが、今でもあちこちに点在している。

漁港は直ぐにでも稼動できるような状況だ。「浪江町の復興は請戸漁港から」、このスローガンはとても良く分かるが、福島県人として思うところは色々とあり複雑だ。

その一つが漁港から間近に望む第一原発。放射線が低いとはいえそれは単に風向きによるものではないのか、そしてこれから何年続くのだろう、廃炉作業中に再び事故が起きたらどうするのか‥と、安易な避難指示解除はまだまだ早いように思う。


実際、各町・各地域で避難解除になった場所が多々あるが、住民の回帰率は非常に低い。特に小さい子供がいる若い世代、若者は帰ってこない。そういった現状にあって新しく学校を作るなど、あまりにも現状と掛け離れた内容に疑問が残る。

浪江町の国道は6号線の他に福島市と浪江町を結ぶ114号線がある。今住んでいる場所に引っ越す前、海に出る際はこの国道114号を使っていたが、原子力災害の影響で浪江町々内は長らく交通規制となっていた。


その規制が09/20に解除、懐かしさもあり彼是七年ぶりに通ってみる。併しながら繁華街を過ぎ、常磐道浪江IC辺りから同町津島地区までは帰還困難地域となり、各家屋や脇道はご覧のように重く冷たいガードで施錠されている。

個人的には浪江駅から約10kmほど行った室原家老地内にある滝不動が思い出深い。

矢張り訪れる人は少ないのか、参道は足元が分からないほどの落葉がある。不動尊は新しく立派な建物で、交通規制になっていたとはいえ氏子の方々は時折り様子を見に来ていたのか、壊れた様子はなく綺麗だった。

浪江不動滝。請戸川は轟々と流れ若干水に濁りあった。河口には鮭の簗場があったが、震災で河口周辺が崩壊、且つ放射線の影響で漁や人口孵化は行われていない。鮭は成魚となるのに四~五年、震災から六年が過ぎた今、請戸川を遡上する鮭はいなくなった。
昔々、鮭は大量にこの滝周辺まで遡上して来たようだが、この先そんな光景が再び見れるようになるのだろうか。

滝のすぐ上流、おそらく砂防堰堤の一部。阿武隈山地・高原からいわきや相双地区へは渓流や滝が幾つかある。ちょっとずつ訪れてみようと考えていた矢先に震災が発生、崩落の危険性と放射線の影響で立ち入り禁止となった場所が多々ある。今回は国道114号線が規制解除となった次第だが、今度はこちら側の足腰が弱くなってしまった。