会津美里町、向羽黒山城跡からの只見線俯瞰

01日(金)、先々週訪れた際は冬季閉鎖中であった大沼郡会津美里町字船場の向羽黒山城跡だが、04/01に再開するとのことに早速行ってみました。この一帯は白鳳山公園として整備されており、この日も冬の間に荒れた景観の美化・修復作業が行われていました。

詳しくは「会津美里町」のHPをご覧頂くとし、向羽黒山城は豊臣政権初期の天正17年(1589年)、奥州統一を目指す伊達政宗に摺上原の戦いで大敗した蘆名義広の居城であった。この辺りのことは1987年の大河ドラマ”独眼竜政宗”を何度も見て凡そのことは理解していたつもりだが、実際に此処に立つと尚のこと感慨深いものがある。


白鳳山公園は通常北側の会津美里町内から進み、南側へ通り抜けが可能。途中には神社や城跡の案内板が各所に設置されている。南側から左折すると昔ながらの家屋が並び、左下り観音堂や芦ノ牧温泉方面へ至る。このような古の道や町並みを通ると、当地の土地勘というか歴史をちょっとだけだが知ったような気分になる。

さて何故に白鳳山公園を訪れたかというと、昨秋、会津盆地で只見線を撮影していた際の農夫との会話の途中、その傍らに白鳳山を指差し「あそっからも見えんだぞい」と、教えられたからだ。それから色々調べてみると二の曲輪(くるわ)跡から阿賀川の大川橋梁が撮れると知る。


上画像は二の曲輪への階段。下画像は西側の伊佐須美神社方面。詳しくないので山名は分からないが、この山並みの先は柳津町西山地区から金山町の沼沢湖方面になる。北及び東側は会津美里町内や会津若松市内の現代的景観になるものの、この西側は葦名時代の人々も眺めていた昔ながらの景色かと思うと更に感慨深い。

上画像は二の曲輪跡。整備が行き届いており桜が咲けば尚のこと良い所だと思う。下画像、二の曲輪跡の案内板。それによると最終的には此処が本丸だったらしいとのこと。因みに本来の本丸は山道を登るようになり、見晴らしが良いようだが今回はパスした。

まず展望台から北東部を眺める。白丸部が大川橋梁、赤線は会津線となり松並木の間から走行する車両を確認したものの、カメラは三脚に設置済みなので撮りませんでした。

案内板には会津村の観音様(白矢印)の右下に鶴ヶ城があると表記されるも、イマイチ分かりません。双眼鏡でも確認したが、もしかすると赤丸部がそうなのかも知れない。

此方は展望台より40mほど左からの眺め。中央の北会津受水塔の直前に只見線があり、写ってはいないが右側が会津本郷駅になる。因みにこの塔は安全な水道水源の確保と品質・環境保護などなど、水質管理の徹底が目的とされるようだ。


春光届けど風は冷たし会津平 ①」~ F10・SS1/500・ISO200 ~


「春光届けど風は冷たし会津平 ②」~ F10・SS1/400・ISO200 ~


①は14:06頃通過の上り428Dと大川橋梁。②は13:20頃通過の下り427Dと北会津受水塔となり、撮影時刻は前後しています。というのも平日午後一の上り便である三両編成の428Dをメインに考えていたが、今は各高校が春休みのため二両編成となり、二地点の何処でどの車両を撮るか迷いが生じました。因みに大川橋梁は「2018/09/02」に川沿いから撮っています。


フレーミングに関し①②とも背景の飯豊山をどうするか考慮したが、飯豊山まで撮り込むと必然的に画角が広がり列車は小さく、そして周囲の不要な部分まで写り込むのでその構図は却下。実際のところ足元の樹木の枝々が多々入り込み、その成長及び葉が茂る季節になれば更にフレーミングが面倒になるかと思う。それにしても只見線といえば山峡や田園といったイメージだが、特に①はそのイメージを覆すような‥。


さて会津盆地の雪は日陰や窪みに僅かに残るだけで、いよいよ春の到来となったようです。この日は風があって寒かったけれど、夏のギラギラした陽射しや冬の重々しい陽射しと異なり、春の陽射しは穏やかな色彩、優しいコントラストなどまるで違います。写真を撮るようになりその違いに尚のこと気付いた次第だが、新緑の頃までが私的に一番良い季節であります。


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