人と自然と鉄道と...

若者の新語なのだろうか”エモい”なる形容詞。調べると情緒的、感情的という意味のエモーショナル(emotional)から来ているようだが、その”エモい”については置いといて、今更だが写真とはエモーショナル性が欠かせないことだと改めて思うようになってきた。

例えば私が撮っている只見線には超有名な第一只見川橋梁の絶景ポイントがある。ネットで検索すればそれこそ数え切れない程の画像に、ぶっちゃけ引くか寄るかの違いはあれどほぼ同じ内容だったりする。併しそんな中でも目を惹く、心が動く画像が存在することも確かだ。

ではその心が動く要因とは何なのか、絶景とはいえ記録写真的内容であれば残念ながら感動はない。だが季節と時間、光や自然現象などを考慮した上で撮影された作品に対し、おそらくその一枚を撮るために研究と失敗を重ね、費やされた時間を想像すれば感動を覚えずにはいられない。詰まるところ人に感動を与えるとは何においても努力の二文字だと実感する。

何度か書いているが、鉄道写真家の故真島満秀氏は「鉄道が如何に人々や自然と関わっているかを撮らねばならぬ」と語った。これこそ私にとってのエモーショナルそのものであり、少しでも近付こうと心掛ける。一例として只見線は本数が少ないので撮って直ぐに追っ掛けるなどの場合は別儀だが、遅くとも一時間以上前には撮影地に立つよう行動する。

撮影準備を整えた後、静寂の中で様々な音に耳を立て風や匂いまで感じようとする。オカルト的でカッコ良さげなことを書いているが、鳥の囀り然り、川のせせらぎや土の匂い然り、更には移動販売車に集まる老人、暖房もない無人駅で寒さに堪える学生などなど、そんな光景や状況を見る度に心が動き、真島氏の言葉が脳内でオーバーラップし撮影の糧となる。


撮影スタイルは各々だが、車両通過間近に息を急かしやってくるカメラマンもいる。私からすれば折角の自然の中にあって、己との関りを知ろうとしない様子は単にシャッターを切るだけの深みのない内容、且つ情緒を持ち合わせていないのだろうと思ってしまう。


以上、伝えたいことが上手く文章にできず好き勝手書いているが、何だかんだ言ってもキモは通うことが一番重要なのかも知れない。通うことによりその土地の方々と接し、得た情報は時としてイメージ作りに役立ち何かしらの繋がりを理解する。また変化球的なことだが、写真のタイトルもエモーショナル性を醸し出す大きな役割を果たすと思う。(タイトルに関しては機会があれば何れまた)


添付画像説明
1.第一只見川橋梁を通過する平日四両編成の422D。
2.会津桧原駅にて425Dの運転士と会話する近所の親子。
3.郷戸駅待合所に置かれる郷戸駅ノート。
4.新鶴駅にて426Dを待つ老婦人。若松市内へ通院とのことだった。