福島市佐原字神事 あづま総合運動公園+etc

年が明けてからイマイチ写欲が起きません。そんな中、ふとイメージが湧き年末から通っている相馬市岩子に早朝より出掛ける。暗い時間から三脚を立て待機したのだが、どうやら思い描くイメージは曇り空じゃないと撮れないようだ。 よって撮影対象を変え星のことはさっぱり分からないが、夜明け前の東の空に光り輝くおそらく金星を撮ってみる。続いて最近ワンパターン化している日の出を撮影するが、これって雲の表情次第となり、…

福島市飯坂町 赤川滝の不思議

・・・下記は2012/12/12にupした記事です・・・ 撮影で時折り訪れる福島市飯坂町の赤川滝、崩れ易い堆積岩で形成され行く度に様相が変わっていることがある。今迄その変貌を具体的に写真などで記録することは無かったが、撮影の度にほぼ同じ構図でカメラを構えても何かが異なり戸惑ってしまうことが多々あり、3.11の震災前後に撮った写真を並べ見比べてみた。 ① 滝壷の向かって左側の景観。 上、震災前10…

東茨城郡大洗町 神磯鳥居+etc

昨日は最後の正月休みとなり、ガラにもなく夏井川下流の白鳥を撮ってみようかと出かけてみたが、イメージする陽光が射し込む訳でもなし撮影は止めにした。 途中此処に来る前、いわき市川前町川前の磐越東線踏み切り付近でいつも気になる廃屋を撮影、地表には霜が降りてとても寒々しい光景だった。 「春ハ未ダ」~ F8・SS1/3・ISO320 ~ 先を急いでいたので手持ちによる撮影はSS1/3秒などなど、露出は目茶…

福島市早稲町 ”もりなが食堂”

何気にこの数日、無性に天丼が食べたくなり久し振りにお邪魔した。場所は県庁近くのビジネス街とでもいうのか、福島中町郵便局の裏側になる。 どのくらい久しぶりかというとこの店には駐車場がなく、いつもは向かって左側の有料駐車場を利用していたのだが、ビル建築中で駐車場が無くなっていた。従って少々離れた駅前大平ガレージに車を停めた。つまり車の際は前もって駐車場の検討を付けておいた方が良いです。 メニューに定…

昨年の写真

今年も独断と偏見、そして自己満足で昨年撮った写真の中から五枚を選んでみたのだが、「これだ!」というものがない。いや、その時はあったのかも知れないが、時間の経過と共に撮った時の感覚が薄れてしまっており、言い換えれば時間を超越できない内容ばかりと云うことになる。 タイトルをクリックするとフォト蔵の大きな画像(別窓)に飛びます。 ■07/04「ラピュタ」大沼郡金山町大字大志字乙越 大志集落 昨夏は川霧…

謹賀新年

歳の初めにあって今年の抱負なんぞをとよく云われる。昔々、若かりし頃はあちこちの店でおね~ちゃんの手を握り、そしてじっと目を見つめ「君とのふれあい」などと宣ったものだが、その度に「今年も同じこと言ってるぅ~」なんてことが多々ありました w この年になると対人間の”ふれあい”は面倒なので無理に行う気は無いが、現在のところ写真が趣味なので自然との”ふれあい”は大事であります。でも”ふれあい”というイメ…

2015/12 撮影記

●12日 いわき市小名浜 三崎公園 「Earth」~ F8・SS1/1600・ISO200・C-PL・Double Exposure ~ 三崎公園、潮見台で昼に撮った画像。天候が良すぎある意味撮影には向かない状況であったため、何か面白い方法はないものかと煌く海を二重露出で作画してみた。内容は通常の風景画とMFで撮った玉ボケになる。当然のことながら波と玉ボケの表情がイメージに合致するまでシャッター…

年末年始の休みに入る

昨年は忙しく年末年始とも休みが無かったけど、今年は今日から一月四日までの一週間休める。という訳で今日は自分の部屋と仕事場にある神棚の掃除と正月の準備を行った。 年神様は毎年二本松神社で買うのだが、バイトの巫女さんが可愛いのであります。昨年などは乃木坂46の白石麻衣の如きJKであり今年はカメラ持参で行ったのだが、期待は大きく外れ禰宜様の愛想の無い息子だけで巫女の姿は何処にも無かった。 つまり邪まな…

茨城県ロケハン

昨日は03:00出発で家人と茨城県へ出掛けた。早朝出掛けた理由は東茨城郡大洗町磯浜町”神磯鳥居”の日の出が目的だった。大洗は今年だけでも四度目になるのだが、未だ日の出の時間帯に訪れたことがなく、そういった意味からするとロケハンとなる。 到着したのが06:00をちょっと過ぎた頃。既に駐車場は満車に近く、海岸はご覧の通り元日を避け今から撮影を行う人が多いようだ‥というか、私もその一人だったりする。 …

南相馬市鹿島区 奇跡の一本松

南相馬市鹿島区南右田字谷地地内には3.11の大津波に耐え、奇跡的に一本だけ残った松がある。嘗てこの南右田地区には数万本の松の木による保安林があった。昔々の記憶では松林の中のキャンプ場と民家、そして周囲に広がる田んぼの光景が甦るが、現在は防波堤の復旧工事が行われ荒涼とした大地が広がる 松林は津波によってその殆どが倒壊。残った十数本は枯死と診断されながらも、その中の一本だけは新芽が育ち今現在も生きて…

相馬市日下石 百尺観音

国道六号線、相馬付近を通る度、子供の頃に訪れた高根沢の百尺観音を思い出す。当時は六号線からの入り口にドライブインがあり、更には見物に訪れる人も多くいて賑やかだった記憶があるが、今やその面影もなくやや朽ちた感のある未完の磨崖仏が鎮座している。 場所は相馬市日下石字高根沢686、境内には参拝のしおりなる案内板が立っているが、それさえ文字が薄れて読めない状態となっており、要約すれば下記のようなことが書…

安達郡大玉村 ”鈴木食堂”

一見、普通の民家の如き佇まいのサッシを開け入店、オーダーを車椅子に座るお婆さんに告げると厨房で息子さんが調理を始める。その間、接客や特に交わされる言葉は無く、ここは地元で”ブス食堂”の愛称で親しまる安達郡大玉村の鈴木食堂。 メニューはラーメン類のみ。息子さんは本宮市の鶏料理専門店”金丸本店”で修行をしたとのことで、金丸本店同様に鶏肉のチャーシューや鶏ガラあっさりスープからなる細麺。 今まで何度か…

バルトの楽園

06年の映画「バルトの楽園」を久々に観た。内容は第一次大戦、徳島の坂東俘虜収容所々長として人道的に捕虜に接した会津出身の松江豊寿大佐を描いている。 松江豊寿は幼少時分に目の前で起きた出来事、戊辰戦争に於ける会津藩敗戦の際、敗者に対する薩長の非人道的行為、加えて生き残った士族を不毛の地、斗南への強制移行され辛苦の生活を余儀なくされたことなどが後の彼の行動に大きく関わっている。 映画の中でもこの辺り…

冬季撮影用グローブ

今まで冬の撮影には「MATIN マルチシューティンググラブ」を使っていたのだが、この製品はカメラ操作の際に指先を全て出すのがネックであり、従って新たに「Kenko 握 グローブ」を購入してみた。 「Kenko 握 グローブ」は親指と人差し指のみを出す仕様。これはイイネと思いきや、私はフィルターを多用する撮影だということにふと気付く。つまり通常でもフィルターの装着って巧く収まらないことがあり、中指…

いわき市久之浜町 ”からすや食堂”

‥東日本大震災による津波は、いわき市久之浜地区をのみ込み、およそ800mの間に点在していた四十の商店は流出、同時に発生した火災と相まって壊滅的な被害をもたらした‥ 以上は中小機構のHPに記載されていた文面であるが、その中小機構が東日本大震災の被災地で建設を進める仮設施設整備事業のトップを切り、2011年09月にオープンしたのがいわき市久之浜町"浜風商店街"だ。詳しくは「HP」をご覧頂くとして、波…

Photo Blog アルアル

写真に興味を持つようになり、写真を中心にしたブログを始めて何年になっただろう。時間があれば撮影に出掛けてはいるがなかなか思うように行かず、何年経っても上達の兆しが見えない初心者のままだ。 それでもネット上にある数々のPhoto Blogを眺める度、写真云々以前にこれは果たしてどうなんだと思う内容が多々あり、その幾つかを独断と偏見で取り上げてみた。 1.無意味な空の画像と大袈裟に改行された文章。 …

未確認物体は未確認である

写真におかしなものが写っていることはないですか? 心霊写真なんてものはトリックだったり、フィルムカメラの二重露出や光が射し込んだものが多く、例えば上の画像のように男性の左肩の後ろにいた女性が偶然写ることもある。目を凝らして見れば男性の左腰の辺りには女性の衣服の一部が写っており、男性の上半身だけをトリミングすれば世にも恐ろしい心霊写真の出来上がりである。 従って心霊写真と云われるものは、個人的に夏…

被爆量検査

先日、今まで受けたことの無い被爆量検査を行いその結果が届いた。検査は体表面検査と全身検査(ホールボディカウンター)の二種類。前者は掌に機械をかざすだけ、後者は男子の場合パンツと下着の上に検査着を着用し凡そ二分ほどかかる。 結果は体表面検査 ⇒ 検出されず。全身検査 ⇒ 1mSv。何だかよく分からないが、原発事故による被爆はない。今でも福島産を排除する風潮がありそれらは個人の自由なので一向に構わな…

本宮市荒井 ”食の工房 大観"

何気に無性に食べたくなるものってないですか? 私は本宮市字荒井、国道四号線沿"食の工房 大観"の五目焼きそばであります。あんかけ焼きそばでは珍しいかも知れないが醤油ベースの茶色いあんになり、エビなどの高級な具材は使っておらず、赤いハムとウズラの玉子一ヶに数々の野菜、そして筍やキクラゲが入っている。他には季節によって変わる具材もあり、↓ 画像では焼き豆腐が使われている。 先に述べたように醤油からな…

暴走する個性

個性ほど危うく、そしてあやふやな言葉はない。更に個性=自由と勘違いされ、何等かの捨て台詞的扱いがされる。 自由とは律の中に、そして個性とは常識の中に存在し、各バランスの上に成り立つものである。仮にそれらのバランスを覆す、または逸脱する自由や個性を望むのであれば、万人とまでは行かずとも、最小限、周囲の人間に対し理解と納得を促す言動を持たなければならない。 例えば私のような髭を伸ばした五十男が、車内…