被爆量検査

先日、今まで受けたことの無い被爆量検査を行いその結果が届いた。検査は体表面検査と全身検査(ホールボディカウンター)の二種類。前者は掌に機械をかざすだけ、後者は男子の場合パンツと下着の上に検査着を着用し凡そ二分ほどかかる。


結果は体表面検査 ⇒ 検出されず。全身検査 ⇒ 1mSv。何だかよく分からないが、原発事故による被爆はない。今でも福島産を排除する風潮がありそれらは個人の自由なので一向に構わないが、近所の農家の畑や庭先で実った野菜などをずっと食べていても何ら影響はなかった‥いや、あったとしても今更どうのこうのといった年齢でもないし。

あの時のことを思い出すと、チェルノブイリより大きな事故なので至急逃げろという傍ら、民主党の枝野じゃないが直ちに影響はないという状況の中で身の振り方を色々と考えた。幸い停電は一日だけで復旧、更に近くには大型スーパーがあり食べ物には困らなかったけど、灯油がいつ入手できるか分からず暖房の使用を控え、風呂は一週間ほど入らなかったなどなど燃料が無いのはかなり不自由だった。


未曾有の災害だったため何事も後手後手となり、震災の年の年末頃だったか全ての県民に3.11以降の行動と食べたものを記入する用紙が配られたが、これを書いた人ってどれ程いたのだろう。愚生などは前日の夕食内容さえ忘れているというのに、半年近くも遡って思い出すことは不可能。従って家では誰も書くことがなく書類はそのままになっている。


今、NHKのローカル番組では福島県内各地の放射線量を毎日放送している。昨秋、通行可能になった国道六号線沿いの居住制限地域では3.11当時のままの光景がある。原発周囲の町々はこの先何十年と元の姿に戻ることはなく、愚生の家の周囲では田んぼや畑、そして空き地が造成され住宅やアパートなどの新築ラッシュだ。


年が明ければあれから間も無く五年、果たして何が変わって何が変わらなかったのか。留まろうとする人、新たな場所を探す人、そして受け入れる人と送り出す人、様々な思いが少しずつ新たな姿を形成している。


当時各企業はCMを自粛、TVからは無限ループのように ↓ が流れていたっけ。見ると虚脱感が甦るというか憂鬱な気分になるな‥。