バルトの楽園

06年の映画「バルトの楽園」を久々に観た。内容は第一次大戦、徳島の坂東俘虜収容所々長として人道的に捕虜に接した会津出身の松江豊寿大佐を描いている。
松江豊寿は幼少時分に目の前で起きた出来事、戊辰戦争に於ける会津藩敗戦の際、敗者に対する薩長の非人道的行為、加えて生き残った士族を不毛の地、斗南への強制移行され辛苦の生活を余儀なくされたことなどが後の彼の行動に大きく関わっている。

映画の中でもこの辺りのことは回想として描かれており、毎度の事ながら会津人の精神とは素晴らしいものだと感じ入る。そういえば「北の零年」に於いても、ラストで豊川悦司扮する高津政之が旧会津藩士と名乗り一人突撃するが、これも何故かしら心を揺さぶるものがあった。


ドイツの敗戦と共に捕虜は帰国することになるが、捕虜の多くは職業軍人と異なる一般市民だった為、坂東の住民と多岐に渡る交流の中で数々の文化や技術を置き土産にしている。日本に残るドイツ人も多く後のお菓子メーカー、ユーハイムの創業者もこの中の一人のようだ。


物語の最終、第九の演奏を聴きながら盲目のドイツ人捕虜が「ドイツが見える」と呟く。そして日本とドイツの牧歌的風景が入れ替わって行くが、個人的にこの映画のメッセージが此処にあると感じた。
それは最近では当たり前のように云わるボーダレスという言葉であり、確かに様々な意味で人としての在り方が世界共通になることは望ましい。併し日本には日本の、そして他国には他国の文化と思想があり、互いにそれを越境する行為はとても難しい。


語弊がある書き方と承知の上、先進国の人々は物理的にも精神的にもその他の人々を理解しようとする余裕があるが、昔からの恨みや宗教などに凝り固まった国々に対し、互いに理解を求めても逆に対立が大きくなることになる。


このような世情にあって、松江豊寿は心の奥底に薩長に対する憤りを持ち続けたかも知れないが、自らの悲哀をバネに育った良心的な人格から弱者に対して優しく接したように、自分も含め世界中の人々が本当の意味でボーダレス化となるには、膨大な時間と道徳が必要だと思う今日この頃。