原風景を巡る、那須の岩観音と国鉄急行色

M.Hermitage

04日(土)、かつては毎年のように訪れていた那須郡那須町大字芦野の”堂の下の岩観音”だが、ふと思い立ち、五年ぶりに向かってみることにした。私としては日の出頃の時間帯が好みであり、深夜から夜明け前の国道四号線を南下する。

到着してから撮影を終えるまで、現地は私一人の貸し切り状態だった。斜面の桜は種類が異なるのか、同時に満開となる景観に出会えたのは一度だけだった記憶があり、下段の桜が満開になる頃には、上段が散り始めとなるようだ。

ネット上では、菜の花や水を張った田んぼまで撮り込んだ構図をよく見かける。併しその場合、周囲の要素が多く写り込み、どうしても散漫な印象になる。そこで私は岩観音と桜に寄ったフレーミングを選んでおり、下段の桜の状態はあまり気にならなくなる。因みにこの日の時点で、菜の花はまだ五分咲きといったところだった。(2018/04/05の動画を↓にup)


岩屋の春譚」~ F10・SS1/13・ISO200・C-PL ~


夜間のライトアップには全く興味が湧かず、以上の理由から、私が撮る堂の下の岩観音は、毎回ほぼ同じ構図になる。先に日の出頃が好みと記したように、太陽が昇り切ると明暗差が著しくなり、まだ光の弱い時間帯が最適である。この画像の撮影時間は05:50、東側の山々から太陽が顔を出す頃だ。当日は曇り予報だったものの、雲の隙間から薄っすらと陽が射し込んだ。その順光の下でC-PLを使用してみたところ、お堂の屋根や壁の色味がより鮮やかになった。


堂の下の岩観音は、日本むかし話の世界観を思わせる、私にとっての原風景である。いつまでもこの景観が残ってほしいと願うばかりだ。この桜を見るといよいよ福島の桜が始まるという感覚があったが、年々気候が変わり、その差はあまり感じられなくなってきた。


那須町を後にし一旦帰宅する。というのも東北本線の仙台~郡山間を、国鉄時代の急行色を纏った”おもいで花めぐり号”(キハ110)が走行するからだ。実は私の家は東北本線の目と鼻の先なのだが、灯台下暗しとでも云うのか、いつも只見線ばかりで東北本線にカメラを向けたことは一度もなかった。

撮ったことは無いが沿線は運転する車内からいつも眺めており、迷うことなく安達郡大玉村大山字諸田向を撮影地に選んだ。田園の先は東北本線と国道四号線が走り、右手には安達太良山、左の丸みを帯びた山は三ツ森山で、その裏手は郡山市の石筵方面となる。


歴史の話しになるだが、戊辰戦争で板垣退助と伊地知正治の二名が東山道先鋒総督府参謀を務める新政府軍は、二本松藩降伏後、この地で態勢を整え、1868年10月6日、三ツ森山の麓を抜け、会津・仙台・二本松藩兵の他、大鳥圭介率いる幕府伝習隊、土方歳三率いる新選組が陣地を築く母成峠へと進軍した。


少年の風景」~ F10・SS1/640・ISO320 ~


車両は11:35頃通過の上り9542D。なぜこの地を選んだのか、それは急行色というノスタルジーを呼び起こすには、この景観が最も相応しいと感じたからだ。また折角の気動車でもあり、車両に寄らず架線の存在が目立たない遠景構図とした。


こうした理由がタイトルの背景となっているが、JRの粋な計らいによって、少年の頃に見ていたであろう風景が沸々と甦る。各地でキハ110の世代交代が進む中、昨年の只見線ではレトロ満喫号が走ったが、可能であればこの車両を只見線で常用して欲しいところだ。尚、車両通過時にトラクターが画角内に入り込んでしまい、修正処理を行う。


さて自宅近くでの撮影、且つ中途半端な時間帯ということもあり、この後どうするか思案したものの、次第に空模様が怪しくなってきたため、この日の撮影を終えることにした。おそらく来週末になれば会津平の桜が見頃を迎えるだろうか、そんな思いを残しつつ、やや肌寒い四月初めの撮影となった。


@タイトルをクリックするとフォト蔵の大きな画像(別窓)が開きます。