ぼくはうみがみたくなりました
07日(日)、先週行く予定であった海へ向かう。順路はいつものように相馬から南下する。天気予報では晴れとのことだが、果たして一ヶ月半ぶりの景観はどんな具合になるだろう。


まずは相馬市岩子字長谷地の岩子漁港に立つ。私の到着後、早くから次々と車がやって来て船主や釣り人が出港の準備をしていた。下画像はそんな様子を撮った一枚。

「For Moments」~ F10・SS30・ISO100 ~
いつもの立ち位置から撮影。雲一つない空は面白みに欠けるが、この日は空の色合いが良く、黎明時の松川浦の静けさが伝わる一枚になったと思う。撮影は日の出の凡そ45分前、冬の空気は淀みがないのだろう、空も海面も凛として蒼く美しい。

「静寂と余韻 #1」~ F10・SS1/60・ISO500 ~

「静寂と余韻 #2」~ F10・SS1/40・ISO400 ~
岩子漁港に居てもドラマティックな空模様は望めず、ちょっと離れた相馬市岩子字宝迫の文字島周辺に移動し海苔棚を撮り始める。すると準備を終えた釣り船が出港を始め、此方に近付いてきた。目の前を通り過ぎるので構図などを整えるが、露出設定が間に合わず#1では動体ブレが生じてしまった。
釣り船が過ぎてから波紋の様子も撮り、組み写真的な内容としてupする。撮影時刻は日の出の凡そ20分前であり、この状況で動くものを撮る露出の設定を速やかに行うのは難しかった。

陽が登り再び岩子漁港に戻る。おそらく満潮の時間だからか、陽が登ると風は無いのに小波が立ち始める。それでも停泊する船に大なり小なりの動きはなかった。

「余光の停泊」~ F14・SS1/250・ISO100 ~
どこでもそうだとは思うが、震災以降、岩子漁港周辺も年々様子が変わって来た。復旧工事は数年前に終わったが、海と岸が混じり合う景観からコンクリート壁へと変わった。それでも此処に通うのは海や空の美しさがあるからだろう。とは云え、その頃と比べ構図やフレーミングなどが難しくなっているのも確かなことだ。


岩子漁港を後にし県道74号浜街道を使い南下する。その途中、南相馬市鹿島区南海老字竹ノ内前の万葉の里風力発電所に立ち寄る。この時期、太陽の軌道が良い位置になるのだが、今回はタイミングが早過ぎたか思うように撮れず仕舞いだった。
下画像は相馬市小高区村上字前谷地の白鳥飛来地。その数はまだ少ないように見えたが、数人のカメラマンが撮影を終え帰るところだった。

次の撮影は私的ポイントでもある双葉郡浪江町大字棚塩字下浜田だ。震災で荒涼とした姿を定期的に撮っている場所になり、枯れたセイダカアワダチソウが尚のこと虚無感を放つ。尚、家屋の基礎などはだいぶ撤去されているように見える。

「5.385日めの太陽王」~ F14・SS1/500・ISO100 ~
復興とは一度衰退し、あるいは破壊された地域や社会が、再び活力を取り戻し、生活や機能を回復・再構築していく過程を指す。災害や戦争によって失われたものを「元に戻す」だけでなく、より良い未来を目指して新たな形を築くことも含まれる‥と、AIは答える。
つまり再びその地に人が住むことが前提となるが、現在の福島に於いて本当の意味での復興は無いと、この場所に立つ度にそんな思いが頭を過る。それでも何ら変わることなく5.385日めの太陽は、今日も静かに大地を照らしている。

浪江漁港からの第一原発、いわき市平の賽の河原などを見て周り、日没頃にいわき市小浜町台へ向かう。此処から岩間海岸を俯瞰するのだが、残念ながら海岸にサーファーや釣り人の姿は無かった。

「終 日」~ F10・SS1/2000・ISO200 ~
サーファーや釣り人の姿は無かったが、人々が波打ち際を散歩しており焦点距離や構図を変えながらシャッターを切り、その中からこの一枚を選んだ。砂浜から同目線で見ていると気付かないが、押し寄せる波に相対する人間の存在、小ささを改めて知る。
”ひねもす”を変換すると終日になり、漢字による表記とした。太陽が沈んだ後も撮影を行うが、思い描くような色彩にならずだった。暗くなってから工場夜景や船舶の光跡を撮る予定でいたのだが、レンズを忘れたり意欲の低下などでそれらは次回とし帰ることにした。
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