南相馬と会津の早春を巡る・・・後編

M.Hermitage

22日(日)、烏崎海浜公園を後にし、猪苗代湖の西岸、会津若松市湊町大字静潟字浜の東田面浜を目指す。此処で最後に撮影を行ったのは彼是十五年前になるだろうか。

この時期の東田面浜を訪れるのは初めてのことだったが、かつて舟を繋いでいたであろう杭は、歳月の分だけ朽ち果てていた。長露光撮影を行うが、時間帯が良くないのか、更には雲が無く光具合は宜しくない。この時期に此処を訪れて初めて知ったのは、この浜もまた数多くの白鳥たちの休息地であるということだった。


霞む独白」~ F10・SS85.3・ISO200・C-PL+ND100+ND400 ~


以上の理由から被写体を変えることにした。湖面に佇むのは夫婦岩と呼ばれる岩だが、その由縁は定かではない。傍らにもう一基、対となる大きな岩が並んでいたのだろうか。風はなく、湖面はどこまでも穏やかだった。対岸の山々がまとう仄かな色彩と相まって、まるで水彩画のような景観が広がる。その静寂に琴線が触れ、ひとつのイメージが湧き上がった。


そのイメージとはモノクロームに近い静けさを湛えながらも、色彩の余韻は微かに残したい。長露光によって周囲の情報を削ぎ落とし、岩が静かに浮かび上がるような世界観を創造する。従ってC-PLは-側の効果をMAXとし、湖面に光を呼び込み明るめの露出とした。


次は雪解け水が流れ込む前に湖底の鳥居が姿を現す、耶麻郡北塩原村大字桧原字苧畑沢の大山祇神社を予定していたが、夕刻の撮影になるため、その前に会津平で只見線の午後の便を撮ることにした。

何処で撮るかあちこちと見て回り、会津若松市門田町大字飯寺字上川原の大川橋梁に決めた。記憶では前回の撮影はキハ40が運行していた頃だった。画像の車両は13:16頃通過の下り427D。荒れた手前側の川原を撮り込み過ぎたか、帰宅後に確認しフレーミングの悪さを知る。時間があったのでその川原を歩いてみたが、季節が進み草木が茂れば、この川原へ足を踏み入れるのも容易ではなくなるだろう。


蟄虫啓戸」~ F10・SS1/500・ISO160 ~


車両は14:05頃通過の上り428D。タイトルは撮影時から頭にあり、三月上旬の七十二候。暦の上では時期が過ぎているが、ここ会津平では今まさに、冬眠していた生き物たちが春の陽気に誘われ、土の中から顔を出す季節だ。


実際に川原を歩けば小さな虫が舞い、残雪が少なくなった遠くの山々も春の色を帯びている。そう言えば列車の通過を待つ間、上着を脱いで堤防に腰掛けていると、春の陽射しの心地良さに、このまま微睡んでしまいたい衝動に駆られた。


会津平を後にし先述した大山祇神社へ向かったのだが、画像のように赤丸の鳥居は既に水没していた。推測すると十日ほど遅かったかもだが、例年だと三月末から四月初旬だったのに、今年は季節の進みが早いのだろうか。

そんな訳で少々気落ちしながらの帰路の途中、耶麻郡北塩原村大字檜原字墓下の早稲沢浜に停泊するボートの姿が目に留まった。この浜ではまだ湖底が露出し、沖合には大きく割れた氷の断片が漂っており、此処で日没を待つことにした。


遅 春」~ F10・SS1/250・ISO200 ~


日没まで一時間半ほど立ち尽くすことになった。ぬかるんだ湖底に腰を下ろせる場所はなく、更にさっきまでの暖かさに薄着で来てしまい、急激な冷え込みに腰が痛み出す。話しは前後するが、撮影を終えて車に戻る頃には身体がすっかり強張り、長靴を履き替えるのにも一苦労するほどだった。


当初は雲一つない青空だったが、次第に放射状の雲が現れ、まるで日章旗のように茜色に染まっていく。冬の檜原湖といえば氷上の穴釣りが代名詞だが、その季節も終わりとなり、夕刻の風は冷たいものの、この地にもようやく遅い春が訪れたのだと感じた。


撮影は叶わなかったが、湖底に沈んだ大山祇神社の鳥居をはじめ、東田面浜も大川橋梁も数年ぶりの撮影となった。時が経ったとは言え、構図や撮り方は身体が覚えているものだが、そこに広がる自然の盛衰は、嘗ての空気感とは似て非なる新たな表情を湛えていた。


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