奥会津に川霧の季節がやってきた

20日(日)、深夜まで雨脚が残り、外に出ればモヤッと生暖かい‥と、なれば川霧発生は鉄板かと奥会津に向かう。併し到着してみれば思った程ではなく、大志集落付近は皆無であった。そして水沼橋から大沼郡金山町大字水沼字沢東、第四只見川橋梁の俯瞰ポイントを見上げれば山霧に覆われ何も見えない。この状態のままでは撮影は無理かと諦めかけるも、霧は流れては現れるを繰り返しイチかバチか登ってみることにした。

毎度のことだがホワイトアウトとなればシャッターを切らずに撤収となる訳だが、車両通過五分前に何とか撮れる状況となりました。因みに下画像は車両通過直後。完全なホワイトアウトなり、今日は運が良かったと胸を撫で下ろす。


梅雨兆す」~ F8・SS1/160・ISO400 ~


車両は05:42頃通過の上り422D。川面には橋梁が写り込み、先述したように川霧というより山霧といった趣きだ。それでも昨年は撮れずに山を下りたことが何度あったか、それを思えば撮れたことに感謝です。


続いて大沼郡金山町大字中川字下居平のフェアリーロードから中川集落を見下ろす。此処は約一ケ月前に撮ったのだが、山々に棚引く雲、そして田んぼの状態が宜しくなかったので何れ撮り直す予定だった。


雨上がる」~ F10・SS1/160・ISO200 ~


車両は07:13頃通過の上り424D。前回から一ケ月の間に手前側の雑草が伸びました。もうちょっとすると線路も隠れてしまうかも知れない。始発の422D撮影時に降っていた雨は止み所々に青空が見え始め、家屋の壁などに白トビが生じる。従って太陽の様子を窺いながら通過間近まで露光を調整していた。


次は大沼郡金山町大字川口字中山、上井草周辺から大志集落を望む。矢印部に線路があり、08:03頃通過の下り423Dを待つ。此処では多数のカメラマンが待機し、全てが川岸を走行する列車と大志集落が目的となり、異なる立ち位置、且つ異なる方向にカメラを向けているのはどうやら私だけのようだった。


Emotional Days」~ F10・SS1/160・ISO320 ~


当初は陽が射し、背景の山々や川面の写り込みが美しく縦構図で画作りしたのだが、次第に陽が薄れるとともに写り込みは弱くなり横構図に切り替えるも、車両通過間際まで縦か横か迷っていた。線路沿いは「06/07撮影記」で書いた箇所となり、原寸大で見ると電線や標識など有りだがあまり気にする程ではないと思う。


奥会津の風景を眺めていると、旅情・風情・郷愁などなど色々な言葉が浮かびます。それは何処か懐かしいような感覚であり、そんな意味を踏まえて今回のタイトルとしてみた。


霧はやがて流れ、奥会津を後にし大沼郡会津美里町雀林番常免へ向かう。雀林踏切周辺で残雪の飯豊山を撮るつもりであったが、下画像のように雨上がりの雲に隠れ、それでは東側の磐梯山を背景にとするも、これまた同じくはっきりした姿にはならず仕舞い。


会津野ヲ行ク」~ F10・SS1/400・ISO160 ~


結局は南側の山々を背景にし、会津高田へ向かう10:10頃通過上り426Dの車両後部を撮ることにした。所で奥会津に向かう際、会津若松駅から西へ向かうのが最善ルートながら、会津盆地を大きく迂回する只見線。なぜそのような経緯となったのか、色々と調べてみたが江戸時代からの街道由縁、明治中期からの鉄道建設に於ける各地域の誘致運動などなどあるものの、イマイチ的確な答えが分からない。併しながら大沼郡の生活地域を経由し集客・集荷を担ってきたことは事実だ。


@タイトルをクリックするとフォト蔵の大きな画像(別窓)が開きます。