夕闇の達沢不動滝には...

先日の回想記でも触れた耶麻郡猪苗代町大字蚕養字達沢の達沢不動滝です。滝撮りを始めた頃の画像になり、画質があまり良くないです。撮影日時は2010/06/20の16:35頃。画像の注連縄は陰暦の04/19、現在の05/11に祭りが催され飾られます。


当時は毎週のようにこの滝に通いました。その中で各フィルターの使い方や露光時間などの設定を学びましたが、今になって見直すと何れも自分也の合格点には程遠いです。従ってこの画像もup後に削除となった次第だが、当時使っていたカメラの設定が彩度やコントラスト強めだったこともあり、特にコントラストや色調、そして明暗の補正を見直しました。


原始への回帰」~ F8・SS1/2.5・ISO100・C-PL+ND8 ~


所で不動滝という名称は”不動明王”を祀っていることに由来し、不動明王とは仏法の揺るぎない守護者です。その不動明王を滝に祀るのは憤怒の形相が滝の荒々しさに通じると云われ、 心身の鍛練や神仏への祈願など水行の場でもある。この滝に惹かれた理由はフォトジェニックということもあるが、それ以上にこれらの神秘的な事柄が最大の理由でしょうか。


神秘的といえば昔々ブログに書いたことがあったけど、昔々夕暮れ時の駐車場で鐘の音を聞きました。それは熊鈴とは全く異なり気高く透き通った楽器に近い音でした。周囲を見渡しても人の気配はなく、何だろう‥と思いながら滝へ行って撮影を始めました。


そして熱中してファインダーを覗いてると、背後から誰かに見られているような感じがします。水辺ではよくあることなので気にも留めませんでしたが、ふいに右肩に手が乗る感触がありました。振り返れば誰も居らず、気付けば周囲は闇に包まれており即撤収しました。


”雨月物語”に旅の親子が高野山で怨霊となった豊臣秀次一行の宴に遭い、怖い思いをする”仏法僧”という話しがあるが、その中に書かれた修羅の刻がこういった場所には存在するのだと身を持って体験しました。


また話しの序でになるが、山形県のとある不動滝でも似たような経験があります。敢えて滝名は伏せるがそれはまだ太陽が高い時間帯でした。滝への山中、途中途中には朽ちた祠や石碑などがありあまり良い気分ではなかったことを覚えています。


滝は鎖場を降りるようになり、滝壺は狭まった急峻な場所にありました。撮影を始めると私に向けられる大勢の目線が気になり始めました。気にすることなく撮っていると水流の中から多人数の声が聞こえ始め、これはまずいと急いで撮影を止め崖を登りました。


そんなこともあり闇が迫る山中や水辺での撮影は行いません。人気のある場所なら良いのだが、何かしらの謂れがある場所には修羅の刻が存在しているように思います。


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