写真と言葉

現在私は二つのBlogを持っており、Mainは趣味で撮った画像のみをUpし、一枚一枚への注釈などは一切ない。というのも、写真に言葉は不要であり、言葉は写真の内容ないし状況を表すタイトルだけで良いと思っている。

この画像はよく撮影を行ういわき市平薄磯字宿崎、塩屋崎灯台のある海岸だ。干潮になると岩浜に生息する海草やコケ、そして昔々人力で構築された防波堤跡が姿を現す。今まで何度となくその防波堤跡の撮影を行うも、どのように表現してよいかが未だ分からない。

先日、被写体に寄って上の画像を撮ってみた。一度でもこの場所に立った人なら分かるかも知れないが、一般的には荒れた草ムラの水溜りのようにしか見えない。つまりこの画像に対し「干潮になると現れる防波堤跡云々‥」といった説明が必要となり、それは自分にとって写真でありながら写真ではなく、偉そうなことを云わせて貰えば絵日記や状況説明写真の類になってしまう。

それらを避けるのであれば潮が満ちる頃、ないし上記画像のように一目で海岸ということを認識できる構図が必要となるのだが、そうなると主とする防波堤跡の存在感が希薄になり、今以って表現方法が覚束ない理由でもある。


写真がBlogやHPなどで人目に触れた際、以前も書いたようにその写真の良し悪しの判断を下すのは見る側である。然るに良し悪しの判断の一端を文章に頼ることなく、写真とタイトルだけで想像と理解を促すような”モノ”を撮りたいと度々努力をするも、気ばかりが先立ち技術は追い付かず、ひたすら無策焦燥の念に浸るばかり‥。