伊達郡国見町 阿津賀志山防塁跡

仕事で国見町へ行く。仕事の都合で二時間ほど待ち時間が生じる予定につき、この時期の国見町となれば西大枝の泰衡ヶ蓮ということで撮影の準備をして出かける。下記は三年前のブログの記事。


・・・宮城との県境、福島県伊達郡国見町には古来より東山道や仙道口と称され坂東(現関東地方)、そして京へと続く街道があった。現在でも国道四号線、東北自動車道、そして東北本線や東北新幹線がこの国見町を通るように、北上するには避けられない交通の要、地形となっている。


歴史的には伊達政宗などの戦国武将がこの仙道口を抑える戦いを行い、それ以前の鎌倉時代、奥州藤原氏へ落ち延びた源義経追討の奥州合戦が繰り広げられた。冒頭で北上するには避けられない地形と述べたが、国見町には鎌倉軍が攻め入ることを想定し藤原氏が二重の堀と三重の土塁で形成した約四キロに渡る阿津賀志山(あつかしやま)防塁跡がある。


防塁を避け東へ向かえば現在の宮城県丸森町から太平洋沿いの亘理町まで阿武隈川が延び、軍勢を大きく迂回させる行程となる。西へ向かえは半田山や御在所山などの山々が奥羽山脈まで連なり、山中でのゲリラ戦は大軍である鎌倉勢が土地勘も無く不利となる・・

と、歴史的なことは此処までとし、その防塁跡の休耕田(国見町大字西大枝字原前)に蓮が咲く一帯がある。昭和二十五年、平泉中尊寺の金色堂にて四代泰衡公の首桶から100粒程の蓮の種が発見され、平成五年に発芽、同十年に一輪が開花する。


義経が往来した国見町は義経や弁慶の遺跡や伝承があり、且つ平泉ゆかりの地でもあり、平成二十一年に中尊寺から蓮を分株し栽培してきたものだ。仕事で国見町はよく来るのだが、各家々の庭先のタライなどで生息する蓮を見る度、こんな理由ががあったのかと納得する。