いつか見ていた光景

11年前となる東日本大震災。その直後、逸早く行きたかったが流石に気が引け、その年の11月頃よりいわき市や相馬市を訪れ現状を目の当たりにする。海岸に近い国道六号線付近では船舶が打ち上げられ、風光明媚な松林は枯れガレキ置き場となっていた。とある海岸では人形やランドセル、そして食器やアルバムなどが散乱したままとなっており、無性に寂しさやもの悲しさを感じたが、先日何故かそんな荒涼とした相双地区の夢を見た。

震災に起因する原発事故の帰還困難区域に伴い、双葉郡楢葉町~南相馬市原町区の六号線は通行規制区間となり、いわき市と相馬市を往来するには近隣の他国道も通行できず長距離の迂回が必要だったが、2014/09/15、三年半ぶりに一般車両の通行が全面可能となり、地元の人間ではないけれどとても嬉しかった。

併しその六号線を通行し新たに衝撃を受けた。帰還困難区域であるため各家屋にはバリケードで施錠され、壊れたままのゲームセンターや飲食店、洋品店などなどの傍ら迫る放射線の危機から着の身着のまま非難した人々の姿を彷彿とさせる。

六号線が通行可となって三年ほどが過ぎ、各海岸へも立ち入り出来るようになったが、基礎部のみを残した家屋跡などの荒涼とした大地が広がり、護岸工事のトラックが砂埃を巻き上げていた。子供達が小さかった頃に訪れていた海水浴場も見る影もなく、彼方には福島第一原子力発電所が見えていた。


現在は諸事情により早朝ないし夜しか時間が取れず、六号線を往来することがなくなった。そんなことが頭にあって夢を見たのかもだが、あの頃とは全然異なる景観となっているだろう‥と、懐かしく思いながら、HDDから2015/01/24に撮った画像二枚を見付ける。


いつか見ていた光景」~ F8・SS1/80・ISO100・C-PL ~


I Am the Sun」~ F8・SS1/800・ISO200 ~


撮影から時が経ち撮影場所が不明となり、「I Am the Sun」に写る煙突の形状から広野火力発電所だと推測する。この発電所の直ぐ近くには岩沢海水浴場あるが、立ち位置はもっと北になる双葉郡楢葉町大字山田浜字甚四郎前であろうか。そうなれば荒涼とした「いつか見ていた光景」の撮影地としても合致する。


荒道の先の海岸が「いつか見ていた光景」を撮った場所。おそらくそこには小さな集落があったのだろうか、先述したように家屋の基礎部分が砂に埋もれた大地が広がる。幾度となくこんな光景を見てきたが、その様は無情でありそこはかとない悲痛な気持ちになった。


その頃、陸前高田市”奇跡の一本松”や相馬市”かしまの一本松”など、津波に耐えた松の木がメディアで取り上げられた。でも津波に耐えた松はそれだけじゃく、この画像のように人目にも触れずひっそりと生きていた松は多く存在していた。


うろこ雲は発電所上空にもあり、そこにポッカリ浮かぶ太陽は化石燃料だろうが原子力だろうが、そして人間の小さな思惑や存在など塵や埃だ‥と、笑っているようだった。「I Am The Sun」、荒涼とした大地に登る太陽は全てをリセットし、新たな行動を促しているような、そんな風に見えたことを思い出す。


何度も書くが被災地を見て感じた寂しく悲しい気持ちだが、今その場所を訪れたときにどう思うだろう。国道六号線を最後に行き来したのは確か三年前、その頃と異なり寂しさや悲しさと違った気持ちになることを願うばかりだ。


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