檜原湖北岸、姿現す大山祇神社の鳥居

09日(土)、昨日撮り残した場所に向かいます。まずは耶麻郡北塩原村大字桧原字苧畑沢の大山祇神社だが、いつもは夕方の時間帯に撮ることが多く、今回は日の出の頃に行ってみる。

日の出時刻は05:12、東の山々の上に太陽が現れたのは05:50頃だった。太陽が顔を出す前後に撮るが、陽が差す直前が良かったように思う。残念なのは朝焼けを期待したのだが、雲が全くない快晴となり、ドラマティックな朝景色にはなりませんでした。


因みに下記は以前裏磐梯観光協会のHPに記載されていたものです。


・・・冬~春にのみ参道が現れる神秘的な神社・・・


磐梯山が噴火した1888年、桧原湖の湖底に多くの集落が沈みました。大山祇(おおやまづみ)神社の社は水没を免れ現在も湖畔にひっそりと佇んでいますが、参道と鳥居は沈んでしまいます。夏のモーターボート遊覧では、沈んだ鳥居を湖上から見ることができます。


しかし冬になると水位が下がり、水没してしまった鳥居の上部が、凍った湖面の上に姿を現します。また参道に沿って植えられていた木々の根本部分も…。冬にのみ「かつての参道」が湖面に現れるのです。(水位は多いときと比べて、少なくとも5-6mは変わります)


桧原湖が凍っている冬、そして雪解け時期にしか見られない、なんとも神秘的な鳥居。アクセスしづらい場所にありますが、パワースポットとして訪れる方が増えているスポットです。

数年前に地元の方から聞いた話しによれば、神社裏、県道64号線の工事の際に大昔の墓石や人骨などが湖岸に崩れ出したとのこと。この画像は2016年のものだが、白丸部はそれら旧い墓石の一部だと思われ、他にも墓石・石碑の数々が今も散乱している。


また現在の鳥居は凡そ38年前に新たに奉納、建てられたものであり、云われてみれば100年以上も水中にあって腐食しない筈がない。更に湖底の桧原宿跡には別の鳥居も存在するようだ。


悠久古道」~ F10・SS1/3・ISO100・ND8+HALF ND8 ~


日の出前後にC-PL、ND8、ND400、HALF ND8の各フィルターを取っ替え引っ替え撮影する。upした画像は山の上に太陽が現れる数分前に撮ったもの。何故にこの時間帯にNDフィルターを使用するかだが、湖面が風によってさざ波立つ様を抑えることが一番の理由。二番目は暗めの露出だと朝焼けなど赤色が強く発色するからです。


水平線・地平線の撮影は当然のことながら水平が気になります。特に湖沼の場合など水際と山際の境・奥行きが湾曲して見え、今回のように広角レンズを使うと尚のこと気になります。


続いて昨日同様同じコースで大沼郡会津美里町字船場の向羽黒山城跡へ向かいます。併しながらこの日は只見線ではなく会津線メインの撮影です。因みにその会津線は二の曲輪展望台から、白丸部の一ノ堰の種蒔き桜周辺を撮ります。

まずは08:03頃通過の上り2305Dと08:24頃通過の下り2108Dの二便を撮るが、朝の斜光線により杉林の影が出来るなど条件は宜しくない。従って昼近い列車を撮ることにした。


二の曲輪には七時台の只見線を撮影するほぼ同年代と思われる先客がおりました。色々な情報を交わした後のその時の会話を一部抜粋‥。


先客「何方から来られたんですか?」
私「〇〇からです」
先客「えっ、もしかしてNHKで写真が放送される方ですか?」
私「いやぁ~、そうなんです」
先客「いつも見てるんですよ、〇〇の方で只見線撮ってる人がいるんだなぁ‥と」


その後色々と話しが盛り上がりましたが、見てる人は見てるんですね。ブログを知っている方々と出会ったことも多々あるし、そう思うと下手なことは書けませんです。

次便まで時間があるので向羽黒山の頂上、一の曲輪まで登ってみました。日頃の運動不足が如実に現れ疲れました。でも翌日になっても筋肉痛は然程ありません。頂上からの眺めは木々が生い茂る西側を除き、説明通り会津盆地が一望できます。写真は撮ったので、機会があれば記事をupしたいと思います。それにしても昔の人はこんな急峻な場所を日に何度も往来していたことを想像すると、凄いなぁ‥と、素直にそう思います。

直近の駅は会津若松市門田町大字面川字花坂の門田駅になります。遠くから見ると駅名も表示されておらず、失礼ながら物置きに見えました。無人駅でありながら上下二線の交換駅となっています。後ろに見えるのが向羽黒山です。


尚、直近駅とは云えど、阿賀川を渡るのに南若松駅を迂回するようになり、鉄道を利用するのであれば、只見線の会津本郷駅が最寄りの駅になるのだろう。

八時台に撮った一ノ堰の種蒔き桜周周辺。住所は会津若松市門田町大字一ノ堰字村西になると思われ、桜が咲く頃にまた来よう‥などとロケハンをしていると踏切の警報機が鳴り、トロッコ列車がやって来ました。地元の方に聞けばこの日から土日の運行が再開されたようです。

さて11時台の列車を撮ろうと戻ります。すると太陽はほぼ真上となり、影が出来ない状況となっていた。撮影車両は門田駅を同時刻、11:41に出発する上下二便。下画像は11:37頃通過の上り2109D、単線ゆえ先に到着し下り便を待ちます。


会津線と云えば野口英世や八重の桜のラッピング列車。それらは現在も運行されているか否かは不明だが、他には赤べこのラッピング列車など使用される車両も多種に渡る。因みに画像の2109Dは左がAT-550系、右がAT-600ないし650系だと思われ、トイレの有る無しによっても車両番号が変わるらしく初心者の私は全く区別がつきません。


ガタゴトガタゴト...」~ F10・SS1/500・ISO200 ~


画像は11:42頃通過の下り3156Dです。この便はAIZUマウントエクスプレス号と称される快速になる。左の赤い車両はAT-750系だと思われる。秋の会津盆地、黄金色の景観は妙に心が穏やかになるものだが、此処から眺める会津線もまた良いものだと推測する。ただ松の木が矢張り邪魔になり、数年後は尚のこと景観を阻害するようになるだろう。


所で昔々、現在の只見線もこの会津線も名称は会津線だった。会話の中などでは会津〇〇〇と行き先を付けて判断していたようだが、1971年、只見線の全線開通後に只見線と会津線に分かれる。併し奥会津のご老人の中には今も只見線を会津線と言われる方もおり、これらの経緯を知っていれば難なく済むが、向羽黒山のように両路線が同時に見える景色の中で何れも会津線と言えば、特に今の若者は悩むことになるかも知れない。


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