レタッチは是か非か

先日、ある撮影地で私より一回り上の年代と思われる撮鉄の方と一緒になった。次第にレタッチの話題になったのだが、失礼ながらその方は年齢の割にレタッチは各々が好きなように行えば良いという肯定派であった。
私もデジカメはレタッチも含めてデジカメだという認識なのだが、レタッチと聞いた途端、レタッチ=誤魔化すことではないかと怪訝な顔をする人や、実際にレタッチ不可のフォトコンもあったりと、レタッチは悪しき行為と受け止める向きもあるようだ。


併しデジカメはカメラ内で様々な色調や明暗、コントラストなどの選択が可能であり、それらをガンガンに修正した画像をレタッチ不可のフォトコンに応募することは許されるのか否か、更にはもっと基本的なことであるWBの変更でさえ簡易的なレタッチでもあり、私からすればレタッチに対する偏見は非論理的な事柄と云える。


フィルムカメラには暗室テクニックなるものがあり、コントラストや明暗などなどの補正が可能であった。デジカメはそれらをカメラ内ないしPC上で撮影者自らが容易く暗室テクニックを行使できるようになったのだが、要はお固く考えないで楽しめば良いと思う。

ちょっと話しの流れが変わるが、↑は以前Main BlogにUpした「幽 邃」の別カット及びレタッチ前の画像になる。本来であれば舟をもっと中央に置きたかったのだが、カメラを左に寄せると赤丸で囲んだモノが入り込んでしまう。

そのモノとは渡し場の屋根であり、雲台や焦点距離を微細に調整し妥協できる構図を決める。それでも入り込んでしまうモノは後の修正=レタッチ有りきで撮影を行った。


また具体的な例として逆光の撮影がある。人間の頭脳は光りと影を即座に判別し眩しさを抑え、反対に暗部を明るく持ち上げる。併しどんなに高級なカメラであっても頭脳がないため明暗のどちらかを選択するようになり、結果的に白トビないし黒ツブレが生じる。
撮影時にHALF NDを用いたりレタッチを必要としない露出などの設定は基本的なことではあるものの、このような場合は後のレタッチによる暗部の修正、明るさの補正をイメージしての撮影を行うようになる。


それではレタッチの許容範囲は何処までなのか、コントラストや彩度がギラギラし目が痛くなるような画像を見ることがある。また写真を通り越しCG化している画像もある。
実際、私もレタッチを始めた頃は激変する画像に驚き強調することばかりであったが、ある日、客観的にどう見ても自然の色彩ではないということに気付き、自らの範囲が徐々に決まってきたように思う。つまり先に書いたレタッチ=誤魔化すことではなく、個人の意見としてはあくまでも補正、最終仕上げが目的ということになる。


最後に何処からレタッチを行えばよいのか分からないといった声を聞く。これは景色など被写体を目の前にした際、何処に惹かれ何処に主観を見出したのか、そして表現したいものは何なのか、単に綺麗だったとかという理由ではなく、何故撮るのかといったコンセプトが必要であり、更にその場で感じた煌きや温度、そして風や音、匂いなどを蘇らせる作業と云える。
また最近はレタッチ終了後、直ぐにBlogなどにUpすることを避けるようになった。というのも夜に書いたラブレターを翌朝読むと赤面するがの如く、時間を置いて見ると新たな発見や修正点に気付くことが多々あるからだ。


以上、毎度の個人的見解であり、話し半分ということで‥。