マーラー

私は生きるために指揮し、作曲するために生きる・・・これは指揮者としても、そして作曲家としても著名なマーラーの言葉だが、彼の名を冠した74年の映画「マーラー」がある。監督はケン・ラッセル。マーラー役はロバート・パウエルだが、晩年のマーラーが五十代だったので当時三十にも満たない彼にはちょいと早すぎた役かも知れない。妻アルマ役はジョージナ・ヘイル。


マーラーは私にとって最大にして最高の作曲家であり、もし最期に何か一枚と問われれば、迷わず「交響曲第二番 復活」を選ぶだろう。彼は19世紀末から20世紀初頭の近代の作曲家であるため多くの記録が残されているが、眼鏡の奥から発する鋭い眼光は当時として先駆け的な音楽を創造し、「やがて私の時代が来る」と語ったように時代を凝視する先見性が見え隠れする。
反面多くの書物に記載されているように今でいうマザコン的な脆さ、そして少年時代に体験した性へのコンプレックスが彼を支配し、次女の死や自らの心臓病と相俟って生と死‥特に飽くなき生への執着心が伺える。

映画はニューヨーク・フィルでの指揮者勤めを終え、ウィーン行きの列車内での回想と夢の断片が交互に繰り返される。傍らには妻アルマも同乗しているが、既に二人の関係は冷え切っており、当時ウィーン社交界の華と謳われた彼女の性癖もマーラーを困惑させていた。
冒頭驚くことに、駅のホームに於いて「ベニスに死す」のタッジオ(ビョルン・アンドレセン)とアッシェンバッハ(ダーク・ボガード)が登場する。「ベニスに死す」は、トーマス・マンがマーラーをモデルに書いた小説といわれ、ヴィスコンティが映画化する際、原作では小説家であった主人公を音楽家とし、全篇に渡り「交響曲第五番」から”第四楽章 アダージョ”を起用、儚き色彩の中に欧州デカダンスの色香を漂わせる。


このように、この「マーラー」という伝記映画は、既に通常の内容から逸脱しており、70年代初頭の制作でありながら、主人公のマーラー同様、時代に先駆けた色褪せない手段が取られており、マーラー自体を知らない人にとってはかなり難解な内容とも云える。
際立つのはマーラー自身が夢見た自らの葬儀や、改宗し時の音楽界の権力者、コジマ・ワグナー(リヒャルト・ワグナー未亡人)との拝謁などの際、そこに登場する人物はナチスの洋装を着こなし、エロとグロ、そして前衛的世界を展開する。劇中に使用される音楽は当然ながらマーラーのものだが、各曲を切り刻み断片的に活用している。


映画を見終え、個人的にはもっと明朗快活な伝記的内容を望む所だが、この常人を受け付けない手法もまたマーラーの音楽と重なる面があり、ファンとしては興味を惹く所だと感じる。