三寒四温の候

降雪量は然程ではないものの寒い日が続きます。今月に入って時折り暖かい日もあるが、昨年の今頃もその寒暖差が激しかった記憶がある。さて今月からまた撮影に出られない日が続き、在庫の画像を三作品ほど再現像してみました。


原 光 -Urlicht- 」~ F8・SS30・ISO100・C-PL+ND400 ~


いわき市久之浜町田之網字横内”弁天島”、撮影日は2011/11/04。3.11の津波に耐えた鳥居であるが、以前当ブログでも触れたように2015/10の台風により破損、個人的にも好きな撮影地の一つでもあり早い再建を期待していたところ、地元住民で作る久之浜・大久観光協力会が中心となり住民から寄付を集め「翌年」の06/08に再建となった。


但しその鳥居の建立位置がだいぶ右寄りとなり、景観的にはやや残念な結果となったように思います。従って現在はこの画像のような構図・フレーミングでは撮れません。


撮影当時の国道六号線は久ノ浜バイパスがまだ完成しておらず市内を通過しており、その道沿いには多数の漁船が流されたままとなっていたり、海砂があちこちで山となっているなど震災の爪跡が至る所に残っていました。また壊れた四ツ倉の道の駅では一部を使い営業を続け、その様はとても痛々しく思えたことが記憶にあります。


撮影時にupしていたのだが、解像感などが気になり削除しておりました。今回の再現像にあたりレタッチで右上に太陽らしきものを置いてみました。タイトルは当初”高天原”を予定していたが、マーラーの第二交響曲から引用しました。因みに"Urlicht"とはUr →原始・初め、Licht →光からなる造語のようです。尚、楽曲の内容に関しては長くなるので割愛します。


Afterglow」~ F8・SS5・ISO200・C-PL+ND400 ~


東茨城郡茨城町大字上石崎”涸沼”、撮影日は2018/11/17。撮影記は「田村郡小野町 東堂山満福寺+etc」。以前は涸沼や大洗周辺も頻繁に通ったものだが、今になって思えばこんな遠い所までよく来ていたものだとつくづく思います。タイトルは此方もジェネシス1976年のアルバム「静寂の嵐」からの楽曲です。


画像右奥は筑波山。その周囲に太陽が沈むのは三月と十月。そんな夕景を撮ろうと待機していると漁師が小舟で作業に出ることがあります。そのタイミングに出くわすことが多々あり、撮影記でupしてある画像もそれに準じた内容だが、upした画像は長露光で湖面の動きなどを廃した内容です。両者一長一短あり個人の好みも分かれそうだが、私的には何れも趣きがあり、長露光で撮った画像の独特のグラデーションと静寂感も好みです。


消滅した色彩」~ F8・SS1/320・ISO200 ~


大沼郡金山町大字水沼字上田、撮影日は2019/01/06。撮影記は「南会津郡南会津町 前沢曲家集落+etc」。国道252号線、上田ダム入り口にある柿の木だが、撮影の数日前より気になっており、只見線撮影の合間に車を停め手持ちで撮りました。現在この国道周辺は大掛かりな工事が行われており、車を停めることは出来ないかも知れません。


再現像は柿の木以外を一旦モノクロ化し、モノクロの状態から微弱に色合いを再生する。この効果と相俟って奥会津の連なる山々と対比する残り柿に冬の厳しさ静けさ、そしてタイトルのように色彩のない季節を表現してみました。


さて今回は楽曲からのタイトルを三作品に使ってみたが、以前何かの際に記事で書いたことがあるけど、写真を撮る際に音楽の内容、タイトル、歌詞からイメージを膨らませることがあります。それはそれらを具象化してみたりふとそんな光景に出会ったりと様々だが、撮影のスタンスとしては元となるイメージが出来ているので作業がスムーズに進むように思います。


話しは逸脱↓動画アバド指揮の二番。第四~第五楽章が収められています。アバド指揮のものは初めて見たがなかなか良いです。おそらくこれは個人的なことかもだが楽器や声の調和、響きが涙腺(脳)に作用するのか、第四から第五楽章のフィナーレは何度見ても聴いても目頭が熱くなり、中部欧州の宗教観・価値観をちょっとだけ理解したような気がします。


@タイトルをクリックするとフォト蔵の大きな画像(別窓)が開きます。